高校1年の88年夏、補欠として甲子園出場。公式戦では1年夏の初打席に本塁打、3年夏最後の打席でも本塁打を放つ。高校通算30本塁打。練習試合の鵬翔戦では5打席連続三塁打の珍記録も。遠投120mの強肩と俊足で捕手として入団するが、92年外野手に転向。現在は内外野どこでも守れるユーティリティプレイヤー。怪我人が出ればそのポジションに回り、選手を休ませる時にも起用され、空いたポジションを的確に仕事をこなす。特に固定のポジションは無いが、全てをこなせる能力こそが最大の魅力。彼の存在は大きい。
95年長冨浩志とのトレードで、日本ハムから移籍。広島移籍後から内外野ともにこなす。96年秋季には俊足を活かすためスイッチに転向。入団10年目の00年はフル出場を果たし、自己初の規定打席、2桁本塁打を達成し、リーグ最多の34二塁打を放った。03年は3試合連続本塁打を記録するなど、自己最多の13本塁打。出場こそ無かったが、アジア野球選手権2003の代表にも選出された。
04年はアテネ五輪で銅メダルを獲得。9月下旬には椎間板ヘルニアと診断され、手術に踏み切った。アテネ五輪に出場した夏ごろには、すでに腰に違和感を覚えていた。
05年、ヘルニアの手術の影響も心配されたが、オープン戦から元気に出場。6年連続で開幕1軍登録となった。04年では二遊間を守っていた、ラロッカ、尾形の主力の怪我により、先発出場が増えた。夏場に急性腰痛で約1ヶ月、戦線離脱を強いられたが、111試合に出場し、打率.246。8度盗塁を試みて3盗塁と成功率は悪く、腰痛の影響もあったのではないか。
昨季は7年ぶりの2軍スタートとなった。ブラウン監督は「木村拓は戦力外というわけではない。1年は長い。必要になる時は来る」とフォローしたが、梵のアピールが目立ち、実力比較による決断であることを明言。
6月5日、若手育成方針と構想外から、山田真介とのトレードで読売ジャイアンツに移籍。木村拓は「野球選手、木村拓也をつくってくれたのが広島。トレードでこっちに来たけど、僕自身もほとんど広島の人間になっていた。正直言ってすごく愛着があった」と、無念さをにじませた。ファンにとっても衝撃的なトレードだった。ただ本人も戦力構想から外れていたことは自覚していた。「1軍で出てナンボ。試合に出られるならどこでもいきたい」と、漏らしたことも。
移籍後も、ユーティリティプレイヤーとして活躍、二塁、三塁、外野と守った。出場数は05年より半減となったが、代打では28度起用され、26打数12安打、打率.462とセ・リーグでトップの成績(14打席以上)を残し、存在感をアピールした。
|