高校2年、秋の九州大会ベスト4。3年選抜は1番遊撃手で出場し初戦敗退。夏の県大会は決勝で敗れる。県大会終了後から俊足を生かす為、スイッチに取り組むも翌年右打席に戻す。50m6秒0の俊足で、走攻守ともにバランスがとれた選手。足の速さを含めた動きの俊敏さが売りであるが、内野守備においてはやや動きの雑さが目立った。2番打者タイプを目指している。02、03年は内野だが、04年に肩やスピードを活かす為、再び外野に転向。木村拓也(巨人)が抜けた後の、投手以外何処でも守れる、ユーティリティープレイヤー。
99年の1年目は死球で左手首骨折。2年目も左ひざを外野フェンスに激突させ後半戦を棒に振った。3年目は右ひじ手術を経験。
04年春季キャンプでは初の1軍沖縄組に抜てきされながら、2月5日に左脚内転筋を痛め2軍組の日南へ移動。帯同は5日間で終わった。入念なリハビリを続け3月4日に1軍昇格。地元・福岡でのダイエー戦からオープン戦4試合に帯同したが、2打数2三振と結果を出せなかった。長内打撃コーチの「軸を意識して下半身で打て」というアドバイスで、3月から1日1000スイング近く振り込んできた。4月にはリーグタイの1試合6安打を記録するなど打撃面で成長がみられる。
ファームでは87試合に出場し、入団以来最高の打率.265、盗塁も12個。注目する点は三振の少なさ。268打席で三振はわずか18個。三振率は14.8打席で1三振。これは04年1軍で一番少なかった前田の11.5個をもしのぐ。秋季キャンプでは、30m走、塁間の走塁タイムは福地をしのぐ速さを計測。打撃面でもコーチの細やかな要求に応えられる実戦技術を高く評価された。永田2軍守備走塁コーチも「ようやく体が出来てきた。これからが楽しみ」と太鼓判を押す。
05年、8月12日、入団7年目にして初の1軍昇格も、わずか2日間だけで抹消。本人もついにきたか!という思いを無駄にさせてしまった。9月28日既に最下位は確定的で消化試合となっていたが再登録。岩瀬(中日)からプロ初ヒットを放つなど、4試合に出場した。井生以外同期の選手は1軍を経験済みで、ようやくスタートラインに立つ事が出来た。ファームでは主に2番を打ち、打率.273ながら46四死球を選び、出塁率は.379と高い。課題としている走塁技術についても、盗塁数は天谷に次ぐ18個と結果を出している。
新体制となったブラウン監督は春季キャンプ中から、その潜在能力に高い評価を与えた。5月12日に初昇格を果たし、6月17日、日本ハム戦(札幌ドーム)では2試合連続マルチ安打で、プロ初打点を含む2打点と活躍。その後も、代打、内外野の守備固め、先発とユーティリティーぶりを発揮。9月10日、中日戦(広島)では、7回からマスクを被り、林、横山をリードした。東筑高、プロ入り後も経験の無かった捕手も務めた。4月中の練習で捕手としてブルペンに入った。天野と相沢の球を受け、キャッチャーミットを響かせた。高内野守備走塁コーチは万が一という事を考えて、1軍に出られる可能性を増やす為にも取った策だった。
05年の4試合から一気に増え、74試合に出場。打率は.268と平凡だが、出塁率が高い。規定打席には足りないが、打席/四死球で計算すると、井生は11.7と、100打席以上の選手では緒方(10.5)、前田(11.6)に次ぐ高い数字。ギリギリまで球筋を見極める選球眼と堅実なバットコントロール、相手投手に球数を多く投げさせたりと、打席内での粘りが際立つ。右打ちの技術にも優れ、数字に表れない活躍が目立った。ブラウン監督が掲げる“チーム打撃”の具現者として評価されている。
昨季の活躍を受けて、背番号が64から0に変更される。「ゼロからのスタート?8年間やってきたことがゼロじゃダメ。ゼロを集大成にしたい。開幕スタメンを果たしたい」と意気込んでいる。
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