高校時代、甲子園出場は無いが、1年の時からエースとなった。3年の夏は県の決勝まで進んだがあと一歩で敗れた。大学では通算6勝、防御率3.08で3年春、リーグ優勝に貢献した。入団当初は、オーバースローから150キロを越す速球が持ち味だったが、制球力不足の為、徐々に肘を下げフォームの改造をしてきた。99年シーズン途中にサイドスローに転向。アンダー気味のサイドからの平均速球は140キロ。鋭いスライダー、シンカーが武器。05年からシュートも習得している。
01年10月から抑えに任命され5セーブを挙げ、抑え投手として期待される。02年、持ち前の直球が好調で常時150キロ近い球速を記録。後半体力不足からピンチを迎える場面も多かったが、球団記録の30セーブを挙げ広島の救世主になる。03年は春季キャンプ中の首痛が響いて出遅れ、セーブは入団1年目以来の0に終わった。しかし02年から取り組んできたフォークボールを習得。
04年、1月下旬に、持病の右ひざ痛が再発し、春季キャンプ参加を断念して手術に踏み切った。4月23日の阪神戦で実戦復帰。6月に1軍昇格。当初は中継ぎだったが、先発のコマ不足から7月21日に初先発。2軍では過去に3度先発したが、1軍では初めてだった。6回1失点で"先発"でのプロ初勝利を挙げた。直球一本やりだった抑え時代の投球スタイルを脱却。2年間をかけて習得したシュート、シンカー、チェンジアップを丁寧にコースへ投げ分け、140キロ台中盤の直球を生かした。夏場からの先発転向で、当初は立ち上がりが不安定だったが、9月にはこの問題も解消。10月7日に151球を投げ完封を成し遂げ、最終的に、4勝を挙げ防御率3.15。11度の先発で6回以上を投げたのが10度と大崩れせず、先発としての適正も示した。
05年、開幕2戦目に幸先よく初勝利を手にすると、4月23日には山本監督通算600勝をプレゼントする完封。5月まで2完封を含む4度の完投、5勝を挙げ防御率2.74と安定したピッチング。この2ヶ月間、チーム勝利数16のうち、12勝をエース黒田(7勝)と挙げ2枚看板として活躍した。
しかし6月からは序盤でKOされる事が目立った。ふがいない投球は右肩の違和感によるもので2軍落ちとなり、6連続KOもあった。8月4日に69日ぶりの勝利を挙げるも、同17日のヤクルト戦で右肩痛を発症し戦列を離れた。結局後半戦でわずか1勝しか挙げられず失速した形に終わった。自己の勝利数、投球回数は更新したものの、右肩痛が影響し、目標としていた2桁には届かなかった。
右肩痛により1軍初登板は6月3日と出遅れた。6月は中継ぎで6試合に登板し防御率9.00、打たれた事も悪いが、6イニングで7四球と簡単に四球を与えてしまう投球にブラウン監督は2軍での調整を命じた。再昇格は約3ヶ月後の9月に入ってからで、その後は12試合に登板し、防御率3.00。与えた四球はわずかに2個と改善できた。
結局18試合に登板し防御率5.40と、00年以来のワーストの成績となってしまった。またショートリリーフでの起用が主で15回を投げたのみ。今季も中継ぎとして起用される事がメインだと思うが、同タイプの青木勇人が8試合ながら防御率0.00と結果を出しただけに、うかうか出来ない状態だ。
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