高校時代は投手で、3年夏の県大会は5回戦で敗退。立教大入学後に投手から外野手に転向。1年から4番に座り話題になった。4年では主将を務め、秋は打率.316。プロ入りを希望したが指名されず、96年全日空に入社しカウンター業務に就く。97年10月退社して広島のテストを受験、投手として合格した。しかし、球団の事情から指名が見送られ、98年1月自費でドミニカに渡って練習。9月に帰国後は球団の練習に参加し、11月のドラフトで夢のプロ入り。
一時期、球速重視で145キロ以上を連発していたが、技巧派に転向。ストレートは平均138キロながら、球種は、スライダー、シンカー、シュートを投げ分ける。ロングリリーフが出来る中継ぎ左腕。『困ったら広池 投のユーティリティープレイヤー』
99年に投手ながら初打席本塁打を記録。01年オフに球威よりも打たせて取る事に重点を置いて制球力が向上した。02年は左肩痛の菊地原に変わり、ほぼ一年間を1軍で過ごし42試合に登板、防御率も4.57となんとか合格点。プロ初勝利も達成し、過去最高の成績を残す。02年の動作解析指定の一人。
03年5月先発のコマ不足からプロ初先発。ウエスタン・リーグで最多勝、最高勝率、最多完投の3冠を達成。さらに防御率は2.14で2位。04年は、先発不足から8月に2度の先発をするが、いずれも負け投手になった。9月からは中継ぎでロングリリーフでの登板が増えた。10月には3回を投げ2安打無失点でプロ初セーブを挙げた。19試合に登板し、2勝1セーブ、防御率は入団以来最高の2.57。新しく覚えたツーシームと、シュートを低めに集め、ゴロを打たせ安定感が増した。
05年、背番号も「68」から「28」に軽くなり。オープン戦の開幕投手に選ばれ、大きな期待が寄せられた。計10回を4失点と、まずまずの投球を見せ、6年ぶりの開幕1軍を果たした。抑えに繋ぐセットアッパーとしての役割を与えられたが、連日の失敗。4月7日阪神戦には、前日の失敗を取り戻そうと鬼気迫るヘッドスライディングで二盗成功。9回表にシーツに勝ち越し2ランを浴びた。二死後、交代でベンチに戻るとタオルで顔を覆った。号泣した。だがこの姿にみんな燃えた。その裏、嶋の同点2ランの後、代打浅井のサヨナラヒットで、魂の逆転サヨナラ。しかしそんな思いもピッチングには反映されず、5連続救援失敗し、期待に応えられなかった。
02年に次ぐ41試合に登板するも、防御率8.06。四球から崩れる事も多く、救援成功率も46%と不安定感はぬぐえない。秋季キャンプでは、フォーム改造に取り組んでいる。投球の際に上げた右足が止まるとして、2段モーションの違反者リストに載っていた為だ。
昨季は、6月終了時点で防御率5.16と悪かったが、4月5日の初登板から9試合連続無四球とストライク先行を意識して投球することができた。7月以降はローテションの谷間で、短いイニングながら先発もこなし、『困ったら広池』というように、投手陣の足りない部分を補ってくれた。8月以降、中継ぎでは18試合に登板し防御率1.08、救援成功率77.8%という抜群の成績で目立たない役目だがチームを支えた。この結果はブラウン監督が最初に言った「ストライク先行と平行カウントからは自信ある球で勝負」という方針が、そこまでコースを狙わずにストライクゾーンへ思い切り投げることで成績に繋がった。
入団以来初めてフルシーズン1軍に在籍し、登板数、勝利数、投球回数は自己最多。防御率も3.20と安定している。年俸も1350万から2000万へと入団以来の評価だが、もっとアップしてもよかったのではないか?2年連続40試合に登板し、貴重な戦力となりつつあるが、2年連続で結果を出した事は無く、信頼感はいまいち。今季も同様な成績が残せるか?真価が問われる一年だろう。
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