小4で野球を始め、以来捕手一筋。帝京三高では1年秋にレギュラーとなり、3年の夏の県大会で準優勝。高校通算36本塁打。日本通運でも1年目の秋から正捕手を務め、97年の都市対抗で準優勝。シドニー五輪予選の日本代表候補にもなった。
打撃は身長が173cmと小柄だがオープンスタンスでバットを高く掲げるスタイルで意外と打撃センスがある。広角打法で内外角に弱点は無く、小柄ながら右へ打ち込むなどパワーも十分。インサイドワークとスローイング、キャッチングには定評がある。投手が投げる最も威力のある球を軸に強気に攻め好リード、速球タイプを得意とする。最大の欠点は弱肩で、入団からの阻止率は24.0%と捕手として致命的。それを補うほどの強力な打撃力があるならまだしも、長所である打撃もここ3年は低迷している。
入団3年目の02年、7月初旬まで3割5分というハイアベレージを残し、初本塁打も記録。規定打席に達していないが打率.314、5本塁打を記録、捕手の3割打者は96年の西山以来6年ぶり。翌年は「守備重視」という方針から、正捕手の座を剥奪。一時は三塁へのコンバートも浮上した。
04年、キャンプ中の2月12日に、日南市内の飲食店でトラブルに巻き込まれてアゴを骨折。約3週間の入院生活を強いられるとともに、球団からは罰金の処分を受けた。5月に1軍昇格し、1ヶ月遅れの"開幕"となった。1軍では主に右の代打として出場するも34打数5安打、打率.147。打撃不振で7月16日に2軍に降格。3週間後には腰痛で別メニューの調整を強いられた。9月に2度目の昇格を果たすも全て代打で7打数1安打と結果を残せない。35試合、打率.146に終わった。
05年、春季キャンプでは山本浩二監督が愛飲していた焼酎、森伊蔵をネコババ。罰として、野村謙二郎にヘルメットと背中に「森伊蔵を飲んだのは私です」と書かれた張り紙を張られた。2年ぶりの開幕1軍切符を手にしたが、先発マスクはわずか3試合。打撃が魅力の木村一だが、打率は.226。代打でも11打数1安打、打率.091と、2年連続期待を裏切った。
開幕1軍切符を手にするも、結果を出せず2軍落ち。再昇格後の、6月27日の阪神戦(福井)では、黒田のワンバウンドの投球を右手親指に当て途中退場。翌28日に精密検査を受け、「右第一指中手骨基節部(きせつぶ)粉砕骨折」の固定整復手術を受けた。結局シーズン終了までに完治する事はできなかった。オフは10月から練習再開、11月には、ティー打撃を行うなど、状態は回復している。
故障が響き入団以来最低の8試合に出場し、安打数もわずか1本に終わった。契約では1500万円から限度額いっぱいの25%減の1125万円とみられる球団提示を見ることなく"拒否"。「きりのいい数字にしてください」と限度額を上回る33%減を志願し、500万減の1000万円でサインした。倉、石原が正捕手争いを繰り広げているが、ブラウン監督は打てる捕手を望んでおり、打力には定評がある木村一もまだまだチャンスはある。自らを追い込み逆襲へ燃える。
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