日大山形高入学と同時に投手から内野手に転向し、2年夏の甲子園は1回戦で敗退した。東北高校球界No.1スラッガーで通算39本塁打、将来の4番候補と見られている。ボールを叩き潰すようなパワーヒッティングで、打球の速さは強烈!フォークなど落ちる球も苦手にしない。抜群の筋力とともに握力は左右とも70キロ以上。背筋力は280キロ。大柄な割には、100メートル11秒7と意外と足が速い。体型はごついが怪我も多い。
体重の増加でチーム内の日本人で一番重い。入団当初は現役唯一の山形県出身選手だったが、最近では毎年新人が入団している。05年入団の梅津も山形出身。
入団して2年間は左肩のケガにより満足なプレーが出来なかった。02年ウエスタンで1軍に上がるまで不動の4番。打率.305、50打点を挙げ打点王に輝く。9月には1軍でプロ入り初本塁打を記録し、アジア大会にも出場した。03年、ファームでは、2年連続打点王、本塁打王の2冠を獲得。再々昇格した10月10日からプロ初の3試合連続本塁打を放ち、自慢のパワーの片鱗を見せつけた。
04年は、7月に左太もも裏故障で戦列を離脱するなど90試合の出場に留まったが、自己最高の打率.267、11本塁打を記録。特に巨人戦では圧倒的な相性を誇り、打率.351、6本塁打、14打点。
05年は、自身の使用した04年タイプよりも20グラム増の920グラム、長さも1.8センチ長い86センチを使用。04年巨人とのオープン戦で、清原からバットをもらい「自分のは軽すぎると思った」ことがモデルチェンジのきっかけだった。
春先、04年と同じ左足を痛めて、4月に2軍の試合中に今度は、その逆の右足を痛めてしまった。それから約2ヶ月、3軍で治療に専念した。1軍昇格した6月21日からは、6、7番で一塁を守る。両足肉離れの出遅れから77試合に出場に留まった。しかし安定した打撃で、打率.323、本塁打15本と自己最高の成績を残した。今まで苦手だった8月には夏バテ対策として、結婚した事もあり、栄養バランスを考えた食事に加え、クーラーの温度も25度以上に設定した。その効果が表れ打率.352、本塁打10本と活躍する。
また、放った本塁打15本のうち、センターから右方向は10本。長尺バットを使いこなせるようになって、アウトコースのボールでもうまく打てるようになった結果だった。
オフには背番号が「50」から「5」へ変更。尊敬する清原の巨人時代の番号とあり、本人も快諾した。
1月から米アリゾナ州で初の海外自主トレを3週間敢行。カート・シリング(レッドソックス)らとともに徹底的に体を鍛えた。その結果体重は4キロ増えて100キロに、体脂肪は10%から9%に減少。筋骨隆々の体をつくりあげ、飛距離の大幅アップを実感している。3月には栗原の愛称を「コング」と名づけられ、05年の新井と併せて「キングコング砲」と呼ばれる。
シーズンに入り、4月を終了して打率.235と出遅れたものの、5月に入ると、打棒が爆発。打率.379、3度の1試合4打点を含む23打点を挙げる。7月には打率.305ながら、7本塁打19打点でリーグ2冠となり、月間MVPに選ばれる活躍を見せる。この月、投手部門の黒田も受賞し、00年4月の前田、佐々岡以来6年ぶりのダブル受賞となった。
8月2日のヤクルト戦(広島)では、自己初の20本塁打を放ち、好調を維持していたが、翌日のヤクルト戦(広島)の2回に、二塁への走塁中、腰に違和感を覚えた為、大事をとって途中交代した。その後、「第4、第5腰椎椎間板(ようついついかんばん)ヘルニア」と判明し、腰の手術を行った。シーズン中の復帰は絶望となり、2年連続大きな故障に泣いた。昨シーズンはクリーンアップとして定着するようになり、打点も故障で離脱するまで、新井を上回る69打点を叩き出していただけに、大きな戦力ダウンとなった。
故障で離脱するものの、試合数、本塁打、打点は自己最高の成績を残した。特に満塁では、10打数5安打3二塁打と勝負強さを発揮している。
近年の活躍・成長から、フル出場すれば、3割30本塁打100打点は達成出来る選手だけに、故障しない体作りが必要だ。
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