高校3年夏の甲子園で、3番一塁で出場し、途中からセンターに回った。1回戦仙台育英と対戦し完封負け。3年の時は打率.380、18本塁打。
攻走守三拍子揃った選手で将来性充分。打撃フォームは前田に似ており、ボールに吸いつくようなミートの巧みさと盗塁能力は既に1軍レベル。前田二世とよばれる逸材で、背番号も前に付けていた51。「理想の打撃は?」という問いには、ためらいなくこう答える。「10割打つことでしょう」と。
02年入団3年目にして代走で1軍初出場をするも、わずか1試合。ただ雰囲気を感じるだけに終わった。しかしファームでは80試合に出場し不動のレギュラーを獲得。ほぼ1番を打ち、盗塁も着々と伸び17個。03年、1軍では先発6試合を含む18試合に出場。打率.188ながら、上原(巨人)からプロ初本塁打を放つ。
04年、1月下旬の沖縄自主トレ中に首を痛め、春季キャンプは日南スタート。4月23日のウエスタン阪神戦では、二盗を試みた際、左太もも裏を肉離れした。打撃練習を再開したのは、6月に入ってから。その間、1軍では、同期の栗原、河内らが活躍していた。ファームではプロ入り初の3割を打ったが、対右投手は3割5分をマークしたのに対し、対左投手には1割台。内田チーフ打撃コーチのアドバイスを受け、バットを短く持ち、より軸で回転できる打法に取り組んでいる。3年ぶりの1軍出場ゼロに終る。
05年、開幕1軍は果たせなかったものの、6月に約2年ぶりの1軍昇格。主に代打での出場が多かった、9月上旬まで3割をキープ。7月6日の横浜戦では、プロ入り初のサヨナラ打を放つなど、勝負強さも光った。自己最多の65試合に出場し、打率.278、2本塁打。盗塁も4個決めた。9月には入籍し、最高のシーズンとなった。
キャンプから期待されながら、沖縄キャンプ最終日に左太もも裏を痛めて帰広。3月中旬に2軍練習に合流も、4月の開幕後は森笠、広瀬ら1軍外野陣は好調が続き、2軍でひたすら出番を待つ日々だった。5月7日に1軍昇格したその日、3−2と追い上げられた8回2死三塁でダメ押しの中越え適時二塁打。その後も先発や代打で結果を出し、29日の楽天戦では、延長12回一死二塁で左越え適時二塁打を放ち、勝負を決めた。
その勝負強い打撃で一時は打率4割を超える事もあり、右投手の時は先発として起用されるようになった。だが6月後半になるとパタリと安打が出なくなった。待っているストレートに当たらないというほど調子を落とした。8月15日中日戦(広島)では、決勝本塁打を放ちお立ち台にあがるも、24日の阪神戦で右足ハムストリングの怪我をしてしまう。故障で1軍定着とはならなかったが、打席数、打率とも05年を上回る成績を残し、特に得点圏打率.400、代打打率.316、7回以降の打率.372と勝負強さが光った。
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