中学3年の時、調布シニア(東京)のエースとして全国選抜準優勝。高校2年の春、練習試合で初めて球速140キロを記録。2年からエースとなったが、甲子園出場は無かった。
「鉄のように強く、男らしい人間であれ」制球力と度胸で勝負するタイプ。140キロ台の直球と切れのあるスライダーが持ち味。フォークも投げる。
00年は開幕前から好評価で、高校生の開幕1軍は17年ぶり。23試合に登板し2勝を挙げる。01年は右内転筋の故障で1軍登板はゼロ。02年キャンプで縦に大きく曲がるカーブを習得し変化球の幅を増やし、緩急をつけた投球が出来るようになった。10月には先発しプロ3年目にして初の先発勝利を飾り自己最多の5勝を挙げる。11月のインターコンチネンタル杯では、日本のエース格としてチームの勝利に貢献。
03年は先発ローテの一角として期待されたが、春季キャンプのバント練習中に右親指に衝撃が走った。長年の疲労も積み重なって骨が変形。私生活でもコップを持つだけで腕が震えた。5月ファームでようやく初登板。8月には先発出来るまでこぎつけるも、足の状態が良くなく「このままではどうしようもない」と決断、10月に右手指手術を受けた。
04年、春季キャンプ早々からブルペン入りし急ピッチで仕上げてきたが、オープン戦で3回投げ10失点とメッタ打ちされた。ファームではマウンドで攻める気持ちはあるが、本来の投球はできていない。5月には制球力の向上に向けサイドスローへフォームを改造した。
05年、2年連続で1軍登板ゼロに終わり、後が無いシーズン。元々のオーバーハンドのフォームに戻した。さぁこれからという3月。またもや怪我に襲われた。3月23日の投球練習中に右ヒジの痛みを訴え、28日に精密検査を受け「右上腕部三頭筋付着部炎」と診断された。手術をしている時間はない・・と手術をせずに挑む決心をした。ファームでは最高球速137キロと全盛期のスピードは無くなった。また1試合で打者8人に対し6四球と全くストライクが入らない事もあった。
昨季は、1軍の春季日南キャンプに参加出来るまでに、状態は戻っていた。ウェスタンリーグでは、3月29日に先発し5回4安打2失点と好投を見せるも、次の先発では4回5四死球4失点と打ち込まれ、中継ぎに降格。その後も制球が定まらず、54回で40四球と乱れた。入団して以来、ファームで一番多く投げた1年であったが、戦力外通告され解雇。
今後は鍼灸(しんきゅう)師を目指し、資格獲得のため4月から広島市内の専門学校に通う。7年間のプロ生活は、右ひじなどの故障に悩まされた。「正直、悔いはある。もっと自分の体を知っていれば、結果は違ったのではないか」との思いが原動力となっている。
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