高鍋高では3番遊撃手として通算17本塁打を記録。2年秋の県大会では、初戦で波佐見に敗れたが左中間に特大アーチを放つ。3年夏の県大会は準々決勝で敗退。
投手も兼務するなど、野球センスがいい。長打力に加え、左右に打ち分ける打撃技術には非凡なものがある。遠投は110メートル。その強肩を生かして守備範囲も広い。足も50メートルを6秒3と速く、攻守走三拍子そろった大型内野手。長打力は身体が出来ると同時に一気に開花するだろう。その潜在能力の高さは折り紙付きで緒方の様な雰囲気があるとか。内野はどこでも守れ、時には外野も守る。
進学した高鍋高の学校環境は良かった。まず影響を受けたのが、二年年上の矢野修平(元広島)。練習後も一人で黙々とランニングやウエートトレーニングする姿に、あらためて努力の大切さを悟った。矢野の猛練習を見習い、下宿では庭にネットを張って連夜のティー打撃。ウエートトレーニング器具も買い込んで、体を鍛えた。
父は銀行員、母はピアニスト、兄はNASA入りの為に、米国に留学中という環境に育つ。
入団1年目からファームでレギュラーとなるが、3年間は打率.250前後と伸び悩む。
04年はシーズン途中から取り組みだした"左足を上げる新打法"が着実に身についてきた。夏場の7月に34打数1安打と調子を落としたものの、8月以降、71打数25安打で打率.352。10月7日、プロ入り初の昇格を果たす。しかしプロ初スタメンも捕ゴロと遊ゴロ。守っても失策と見せ場を作れなかった。ファームでは自己最高の打率.285をマーク。二塁打もチーム最多の20と野手の間を抜くような鋭い打球を打てるようになった。
05年、ファームでは開幕時からヒットが出ず2割台だったが、5月に入ると月間42打数22安打、打率.524と安打を量産。尾形の戦線離脱により5月29日に1軍昇格し、31日のロッテ戦に6回からついた遊撃の守備で軽快な動きをみせ、8回にはプロ初ヒットを放った。さらに翌日は9番遊撃手で先発しチャンスを与えられた。しかし先発した3試合で7打数1安打2失策と結果を出せず、6月5日には松本奉文と交代する形で登録抹消された。
しかし甲斐は腐らなかった。相変わらずファームでは絶好調で1試合4安打を含む5月からの19試合連続安打で打率4割を超え、一時は首位打者を独走した。首位打者は赤松真人(阪神)に譲ったものの、自己最高の打率.335をマーク、二塁打と三塁打もチームトップとなり、自分のスタイルを築きつつある。降格後ファームでのポジションは一塁。入団当初から内野をいろいろ守っていたが、失策数は相変わらず多い。
昨季も2軍では打撃好調で、5月まで.382をマーク、一時期故障するも7月15日復帰後からの2週間で25打数12安打と打ちまくり、打率.413まで上昇した。最終的には.353とやや落ち込んだが2年連続で高い打率を残した。
しかし1軍では、2度の先発をするなどチャンスを与えられるも、16打数1安打。2軍ではトップクラスまで成長したが、まだまだ1軍の壁は厚い。
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