九産大九州高では入学直後にショートのレギュラーとなった。東海大では2年夏に右肩を痛め、秋には選手を離れてコーチになった。3年秋に選手に復帰、大学4年の秋季リーグからレギュラーに定着し12試合に出場し打率.290、6盗塁(盗塁王)。
捕球の上手さと盗塁技術はトップレベルで、あとは打撃を磨けば楽しみな選手になる。外野、二塁、三塁をこなすが、ショートの定位置獲得にこだわりを見せる。プロ入り後に両打ちに転向するが、現在は右打ちのみ。ベース一周13.4秒、100m11秒台、遠投120m。
02年出場数は71試合と大幅に増えたが、ほとんどが前田の代走、守備交代要員として起用された。ファームでは5試合と実践経験を積むことができなかった。03年春、内田打撃コーチの進言に従って左打ちを止めた。右打席に専念した結果、ファームでは打率.310と3年目で初めて3割台に乗った。10月13日には8番遊撃で初先発するも2度のバント失敗。しかし1点を追う9回、先頭打者で高津のシンカーを左翼へ起死回生の同点弾。プロ初本塁打と初のお立ち台も経験した。
04年春季キャンプ、初めて監督賞に選ばれた。オープン戦では内田チーフ打撃コーチの助言で打撃改造。バットを構えた際の足幅を広げた。長さにして約10センチ。これで安定感が増してスイングがコンパクトになった。2年ぶり2度目の開幕1軍を果たし、代走と守備固めのスペシャリストでシーズン序盤も存在感を示した。だが、6月4日の中日戦の前に行われたシートノックで、送球した際に「バチッときた」というように、右ひじに鋭い痛みが走った。検査の結果、右ひじ関節内側側幅靭帯損傷と診断され、無念の帰広となった。翌5日に登録は抹消され、約1ヶ月間はトレーナーの指示を守って、安静に努めた。その後は左手だけでのティー打撃、守備練習でも捕球しかできず、不完全燃焼の日々が続いた。同じ右ひじに故障を持つ東海大の後輩・鞘師に相談するなど必死にリハビリに取り組んだ。その結果9月になって両手を使ってのマシン打撃、10月にスローイングを開始。塁間を何の問題なく投げられるまでに回復した。
05年、沖縄キャンプの2月9日、右ひじの違和感を訴えて早退。右肘内側側副靭帯損傷・尺骨神経障害と診断され全治8ヶ月。3月6日に右ヒジ手術を行った。尾形に次ぐ正遊撃の候補として挙げられていたが、入団以来初めて1、2軍とも試合に出場出来なかった。「和典」から「和巧」に変え、新たな気持ちで勝負する。
昨季は2軍スタートながら開幕から出場。スローイングも「以前の完ぺきな状態ではないけど、問題ない」という状態まで戻っていた。ブラウン監督が観戦した8月23日のソフトバンク戦(広島)では、今まで2割前後と低迷していた打撃も、4打数2安打3打点と猛アピール。1軍で梵が右足首をねんざした為、監督の「見てみたい」の一声で、昇格が決まった。昇格した29日の巨人戦に即起用され04年6月3日横浜戦以来、817日ぶりの出場を果たした。結果はセカンドゴロに終わったが、復活への一歩を踏み出した。
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