古高松中学時代は軟式野球部で捕手。高校では捕手、一塁手としてプレーしていたが、地肩の強さを買われ、2年夏から投手に転向。3年夏は県大会ベスト16。四国学院大学では1年生で最優秀新人に輝くなど、主戦として活躍した。
リーグ優勝5度、最多勝3度。最優秀防御率4度とタイトルを多数獲得した。四国六大学リーグから初のプロ野球選手が誕生で、四国学院大や両リーグ関係者から「四国の大学選手、進学を目指す高校生選手にもプロへの希望を膨らませてくれた」と天野の指名は明るいニュースとして迎えられた。
ストレートは140キロ前後だが、伸びのあるストレートは数字以上の力がある。カーブ、スライダー武器。また03年にナックルを習得した。連投が効く貴重な中継ぎ投手。
02年は大学中に故障した右足首の影響で春季キャンプは出遅れたものの、1月下旬に骨折箇所のプレート除去手術を受け、5月初旬から実戦復帰。8月7日、02年新入団選手の先陣を切ってプロ初登板を果たす。
03年、5月18日プロ初勝利を挙げ、四国六大学リーグ出身のプロ第1号勝利となった。4月15日の登録以降好投を続け6月5日までの17試合に登板し救援失敗はわずか2試合という抜群の安定感を誇る。チーム最多の49試合に登板し、シーズンをほぼ投げ通した。中継ぎ陣での評価はチーム1。
04年、春のキャンプで習得を目指して練習しているのはナックル。四国学院大1年から投げ始めたものだが、ストレートと腕の振りが違うため、公式戦では使えていない。03年秋季キャンプでも球種増に挑戦した。しかし、途中で断念した経緯がある。2月13日キャンプ中に右足内転筋痛を発症。開幕1軍を逃したが昇格後はノビのあるストレートで打者を圧倒。4、5月は12試合に登板し失敗はわずか1度。チームの勝利に貢献した。前半戦を終え、防御率3.00とまずまずの成績を残した。後半戦は思うような投球ができなかった。右ひざ痛を発症し、下半身の踏ん張りが利かなくなり、身上の球のキレを欠いた。8月13日の阪神戦から7試合連続で失点。29日の阪神戦では1イニングで5失点、9月1日には2軍降格となった。2年連続で40試合以上に登板。後半の連続失点で防御率は5.36と悪かったが貢献度は高い。
05年、右肩痛の故障により出遅れ、1軍登録は5月8日。6月28日の阪神戦では、1四球を挟んで6連打を打たれ8失点と打ち込まれ、ベンチで茫然自失となった。原因は体重が乗らない為、高めに浮く事が多く、ストレートの伸びがない所にあった。結局3度の登録、抹消を繰り返し、本調子にならないままシーズンを終えた。自己最低の防御率9.09。被本塁打も15回1/3で7本と高めに浮いた球をよく打たれた。
昨季はウエスタンで29試合に登板するも、一度も一軍で呼び声がかからず、入団以来初めて登板無しに終わった。06年10月1日、戦力外通告を受ける。入団一、二年の活躍が今でも記憶に残っており、5年目で解雇は早い気がする。
当初は「将来、指導者になるために経験を積みたい」と考えていたが、シーズン終了後、香川オリーブガイナーズ監督で広島OBでもある西田真二監督から誘われた。更に「せっかくやるなら、プロを目指してほしい」と言われ、天野は「もう一度、プロに戻ってくるつもりで、頑張りたい」と意気込みを口にした。
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