高校時代は2年夏に背番号10で甲子園のベンチに入った。しかし、エース坂元(ヤクルト)の控えで登板機会は無く、3年の夏は埼玉大会準々決勝で敗れた。秋の県大会は53回で20安打63奪三振2自責点。アジアAAA選手権では、予選の韓国戦は5回降雨コールドゲームながら3安打3失点で完投勝ち。決勝の台湾戦は味方の援護がなく、0−2で敗れたが完投。2試合で計13回を投げ被安打8、失点5自責点2。当時、高校日本代表のエースだった。この好投で、高校生では日南学園の寺原(横浜)に劣らぬ逸材であることを印象付けた。担当スカウトの評価は「北別府2世」。
粘り強い下半身と、球持ちの良さが特徴だ。入団当時の直球が最速144キロから、現在は155キロまでアップ。そして打者が想像以上に差し込まれる、切れ味鋭いスライダーが武器。三振も取れるが、制球力は無い。フィールディング、けん制、投内連係などディフェンス全般もうまい。
03年はファームの先発ローテーションに定着。1軍では地元最終戦でプロ初勝利を挙げる。04年、初の開幕1軍を果たし、4月21日にはプロ初完投勝利を挙げる。抑えの永川の不調もあり、5月終盤から抑えに回る。6月は8試合で1勝5セーブ。1年間、先発、抑えにフル回転し43試合に登板し、防御率3.18、6勝17セーブを挙げる。03年の3試合から一気に飛躍した年だった。
05年、春季キャンプでは、投手陣に課せられていた投げ込み2500球を一番乗りで達成。トータルでチーム最高の2650球を投げ込んだ。その結果、肩のスタミナがアップし、球数が150を超えても140キロ後半をマーク、また精神的な強さも得た。しかしこの投げ込み自体、賛否両論であったが…。巨人との開幕3連戦、第3戦に登板し、3本塁打を浴びて6回途中降板。その後も、四球から一発を浴びるといった独り相撲の繰り返し。8月から3試合連続2桁奪三振と好投するも、9月中盤からは4連続KOでシーズンを終えた。調子のいい時は何試合か続くが、一旦悪くなるとなかなか抜け出せない状態があった。
とにかく先発ローテとして一年間投げきり、目標としていた2桁勝利をマーク。奪三振率8.96はリーグ最高だった。一方で課題も多く、28試合に先発し完投はゼロ。リーグ最低の防御率5.62、最多与四球87は当然改善しなければいけない点である。秋季キャンプでは井川(阪神)と同じ“サークルチェンジ”の習得を図り、投球の幅を広げるつもりだ。
昨季、黒田に次ぐ先発ローテの一角として期待され、春のキャンプでは2年連続で監督賞を受賞。オープン戦でも150キロのストレートと、春のキャンプで握りを変えたカーブも有効に使い、最高の状態で開幕を迎えた。しかし、フタを空けてみると、5月を終了して1勝もできず6連敗。7月は好投しても打線の援護が無く、わずか1勝を挙げたのみ。
8月16日の中日戦(広島)では、ふがいない投球を続ける大竹を見るに見かねた新井がマウンドへ駆け寄り「自分一人でやってるんじゃないんだ」と喝を入れられた事も。翌先発の23日対阪神戦(広島)では、5回二死一、二塁の場面でマウンドで助言を受けた直後にブラウン監督が審判に、猛抗議し退場。「気持ちが伝わってきました。絶対に抑えたかった」と藤本を気迫の投球で空振り三振に仕留め、切り抜けた。9月5日のヤクルト戦(長崎)でも、あわやノーヒットノーランというピッチングで、シーズン初の完投勝利を挙げた。このまま波に乗るかと思ったが、好調が持続しない・・。それだけのポテンシャルを秘めながらも、精神的弱さを露呈。ほぼ1年間ローテションを守ったが、勝利は05年を下回る6勝に留まり、リーグワーストの13敗を喫した。
ストライク先行の投球で、四球は減ったが、同時に三振も激減。確かに防御率は05年の5.62から4.93と減ったものの、大竹の魅力も影を潜めた。今季も先発として投げると思うが、最低でも2桁勝利し、貯金を作って欲しい。
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