福井商高では、高2夏から3季連続で甲子園に出場した。2年夏は7番ライトで出場。2打数無安打に終わったが、3年の春は3番打者として、1回戦でソロ本塁打を含む3安打。走っても1イニングに2盗塁を成功させ甲子園を沸かした。同校からは94年、広島が5位指名した横山以来。
ミート力は確かで力強く鋭いスイングもあり、打力は確かなものがある。ライナーで野手の間を抜く強打が売り。それ以上にボ−ルを良く見られる選球眼の良さに加え、50m6秒0の俊足を持ち、ベース付近でスピ−ドの落ちないスライディングは多いに魅力。肩はさほどでない。
入団1年目はファームで40打数2安打と打率わずか.050。それが03年は、開幕から1番に座ると打ちまくった。一時は打率4割を越え、首位打者を独走。しかし、次第に苦手コースを攻められ、外の球を引っかけて二ゴロに終わるケースが増え、最終的には.266だった。ほぼ1番で定着し27盗塁を記録し盗塁王に輝く。まだ盗塁成功率59%、失策7と走塁面、守備面と課題は多い。
04年は初めて1軍の春季キャンプに参加。鋭いスイングと俊足で首脳陣の評価を高めた。だが、オープン戦で15打数2安打と結果を出せなかった。03年秋季キャンプから取り組んだフラミンゴ打法を従来のすり足打法に戻すなど打撃面での試行錯誤が続き、3月下旬に2軍降格を命じられた。ウエスタン・リーグでは2位に20個差をつけ、42個で2年連続盗塁のタイトルを獲得するなど快足ぶりを発揮。だが8月20日にプロ初昇格した1軍では2打数無安打。盗塁を1つも決められず、30日に無念の2軍降格となった。再昇格後の、10月3日の阪神戦でプロ初先発。第1打席で嬉しいプロ初安打を放った。さらに積極的な走塁で二塁を陥れるなど、自慢の足も披露した。
05年、飛躍の年になるはずだったが、04年12月左足の靭帯を痛めた。春季キャンプでも捻挫で満足のいく練習を積むことができず、開幕は2軍。4月8日に初昇格を果たしたものの、同月15日にはラロッカ復帰に伴い登録抹消された。以降は、ファーム暮らしが続く。さらに6月14日のウエスタン中日戦では二盗を試みスライディングした際に右肩を脱臼した。7月に入り、入団以来、初めて寮の部屋に鉄アレイとインナーマッスルを強化するためのゴムチューブを置くようになった。結局、怪我に泣かされ、盗塁数は04年の半分以下となる19個。打率も.258と低迷した。将来リードオフマンとして期待される選手だけに、つまずいた1年だった。
5月に1軍へ昇格したものの、約1ヶ月で2軍落ち。主に代走での出塁だったが、盗塁は0、打撃でも8打数0安打とアピールできなかった。
ファームでは最高出塁率.366と三度目となる盗塁王(24個)の二冠を獲得した。盗塁成功率は85.7%と自己最高をマークし、盗塁の技術も向上した。一方打率.252は一年目を除いて自己最低、本塁打も0に終わる。
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