小学2年「山手台サニーズ」で軟式野球を始める。中学では「茨木シニア」に所属。高校2年の時に内野から外野に転向し右翼でレギュラー、3年春夏甲子園に出場して注目された。夏の大会では松坂(レッドソックス)から3打数2安打。東海大では2年春から出場。4年春は首都大学リーグで打率.351、本塁打2を記録しベストナイン。この年、第1回世界大学野球選手権大会の日本代表にも選出され、1学年年下の鳥谷(阪神)と同部屋にもなった。50m6秒0、遠投110mと走攻守3拍子そろった大学屈指の外野手。また内野も出来る。
鞘師家の系譜をたどれば、先祖代々、姫路城の城下に知られた鞘作りの名工だった。サムライの武器、刀に携わってきた先祖。400年後、その末裔は、打者にとっての刀といえるバットを武器にする。
大学4年の秋、右肘靭帯損傷し手術。地道なリハビリトレーニングを続けてきた。その間、永川ら同じ"松坂世代"と呼ばれるルーキーが活躍すること以上に、野球が出来ないことに苛立ちを覚えた。3軍でのリハビリ生活を乗り越えて、03年7月31日ファームでプロ初出場した。8月には初安打し、すかさず盗塁も決めた。内田打撃コーチは潜在能力の高さを感じ取った。わずか20試合の出場だが、打率.414、1本塁打、3盗塁を記録。
04年の沖縄合同自主トレ、打撃では中堅方向に鋭い当たりを連発し存在感を示していたが、1週間で打撃に影響する痛みを覚えた。4月、右ひじ内側副じん帯損傷のため手術を行った。守備、打撃練習を開始したのは8月に入ってから、2軍では結局開幕後の3試合に出場しただけに終わる。
05年、春キャンプを1軍組でスタート。初の紅白戦で1本塁打を含む2安打3打点と好発進。だが、その後は結果を残せず、結局開幕は2軍で迎えた。3月26日の2軍の開幕戦、2番左翼で先発。プロ入り初めて守備に入った。その後も先発出場し、右ひじの状態もいいようだ。しかし打撃で結果を出せず6月に入ると代打出場のみ。9月には先発する事も増えたが自慢の打撃は披露出来ず、打率.221、3本塁打に終わった。走攻守の揃った逸材として入団したが、未だに1軍の舞台に立てていない。秋季キャンプには二塁も挑戦した。
昨季は、長年戦ってきた故障も癒え、2軍で打率.236ながら、初めて規定打席に到達した。6月終了時に.195だった打率も、後半の7月から.280と盛り返した。自慢の守備ではセンターで軽快な動きを披露し、初めて1年間フルにプレーできた。盗塁も8個を記録し足でもアピール。9月26日には初めて1軍登録され、翌日の27日阪神戦では満員の甲子園でプロ入り初先発を果たした。プロ初ヒットは07年におあずけになったが、プレーできる喜びを全身で感じている。秋季教育リーグでも全14試合に出場し、打率.340、1本塁打と結果を残す。今季はかぷ吉注目株No.1だ。
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