小4で野球を始めて中学までは投手。高校時代は1年夏からトップバッターとして活躍。県大会は74打数24安打.324。3年では主将を務めた。3年間で3度とも神奈川決勝を経験し、当時、神奈川ナンバーワン遊撃手と呼ばれドラフト候補にも挙がった。
大学では、入学時から期待され1年から1番遊撃手を任される。秋には1部昇格に貢献し飛躍を期待されたが伸び悩んだ。3年春のリーグ戦。飛球を追った際に二塁手と激突し、右ひざ前十字靱帯を断絶する大怪我、3ヶ月近く足を動かせず筋肉量も落ち込んだ。結局大学からのプロ入りを断念した。再起不能と囁かれたが懸命なリハビリと強化運動で復帰。社会人野球ホンダへ進んだ。01年には再び手術を受けた。ようやく本来の動きを取り戻したのは02年末。故障から約3年半の歳月が過ぎていた。
50メートル5.8秒の俊足が最大の武器で「日大時代は阿部(巨人)に盗塁を刺された記憶はない」と実績を披露、ホンダでもノーサインで盗塁を任された。チームメートから「金本に似ている」と冷やかされる顔つきの持ち主は「カープの足を使った野球は自分のカラーに合っている。」とコメント。攻守走三拍子そろった遊撃手で、即戦力内野手。初球から思い切りのいいバッティングも魅力。遠投115m。
04年、7月27日に登録後、即1軍戦デビュー。ファーストストライクから狙っていく積極的な打撃で.325と高い打率を維持。人気も打率同様に急上昇した。背番号「00」のレプリカユニフォームも勢いよく売れた。しかし9月に入って急降下。内角を中心とした厳しい攻めにあって、9月はわずか3安打に終わった。結局打率.250、期待された盗塁数はわずか4個に留まった。守備では本職は遊撃手だがシーツがいるため、春季キャンプから外野も挑戦した。7月末の1軍昇格後は高校や、大学時代にも経験ない二塁を守る機会が増えた。逆に、アマ時代に本職とした遊撃手の守備は2試合のみだった。オフには、2年目で早くも背番号が「4」に変更された。
05年、チームに衝撃が走った。5月28日、西武戦(インボイス)の3回の守備で、和田の二ゴロを処理した際に右足を痛め、担架で運ばれ退場。翌月13日に手術を受け、復帰は絶望となった。開幕から1番遊撃でスタメン出場を続けた尾形。打率.303、9盗塁(当時チームトップ)と積極的な打撃と足でチームを引っ張っていた。離脱後、チームは低迷。前半戦だけで1番を7人起用するなど固定できず、尾形の披けた穴は大きかった。
05年6月に手術を受けてからは順調に回復していたが、昨季3月に再び「右ひざ大腿骨滑車面軟骨損傷」に見舞われ、内視鏡手術を受けた。以降は、大野練習場で黙々とリハビリに汗を流した。日常生活をするのに問題ないまでに回復した。連日、下半身や右足強化メニューのリハビリに余念がない。右太ももは1年半かけて故障前の太さに戻った。
公式戦終了後は朝山3軍コーチと、打撃フォームをチェックする日々。故障の影響か、右ひざを早く開いてしまうクセがあるという。「まだ痛みがあるのなら、悪いクセがつくからやらない方がいい。本人は痛くないと言っているが、無意識にかばっているのかもしれない」11月末までマンツーマンで指導に当たる朝山コーチも気遣う。
また2歳下の新人・梵がショートに定着、新入王に輝いた。大学、社会人を経ての入団経緯や遊撃で1年目からの活躍など、2年前の尾形自身とイメージが重なる。その梵には「1年目からすごいですね」と話すだけで、過剰なライバル意識はない。
尾形の武器は、05年の故障前まで47試合で.303の高打率を残した積極的なバッティングだ。今季からはひざへの負担を軽減するため、本職の遊撃や二塁ではなく、1年目にも経験した外野で復帰を目指す方向だ。同学年の廣瀬らライバルは多いが、「ひざが完治してくれれば、勝負できると思う」と自信を見せる。春季キャンプは2年ぶりに主力組の沖縄に参加する見込みで、その闘争心にはいささかのかげりもない。
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