小学1年から「月岡ツインズ」で投手兼遊撃手として野球を始める。星陵中軟式野球部では1年夏に全国大会準優勝。3年時は3位。遊学館高では2年から4番を打ち。2年夏、3年夏と甲子園に出場。甲子園では16打数4安打。05年の3年夏の甲子園では、センター前の打球を素早く一塁に送球。アウトこそ奪えなかったが、スタンドをうならせた。実戦で何度も試し、2年時の練習試合では実際に中ゴロを成立させた事もある。
自ら「課題」という打撃は、04年夏甲子園で、東北のダルビッシュ(日本ハム)に4打数ノーヒットと抑え込まれたことで進化した。直後から猛練習。確実性が増し、通算本塁打は同郷のヤンキース松井を4本上回る64本に伸びた。
高校通算64本塁打の長打力に、50メートル走5秒8、遠投110メートル。守備でも俊足をいかんなく発揮し、守備範囲の広さが光る。走攻守三拍子揃った選手で、身体能力をプレーに応用できるセンスがある。バットの芯で強い打球を放つタイプで、芯に当たったときの打球は脅威。
100メートル走で11秒0を記録するなど、既に足の速さは球界トップクラスだ。ゼットが全国の高校を回って行っている筋力測定会では、太ももの筋力で鶴(阪神)らを抑えトップの数値をマーク。「スピード、パワーとも競輪選手並み」と称賛された。高校時代の盗塁はすべてノーサイン。「捕手の動きなどで次の球種が分かる。根拠を持ってスタートしています」と自信を見せる。
「理想の選手は緒方選手のような長打力があって、盗塁もできるアスリート選手です。いずれは3割、30本、30盗塁するのが目標です」超高校級の逸材が"走る野球"の復活へ大きな力となる。
初めて参加した春季キャンプは2軍組の日南でスタート。1軍組が合流するまでの約2週間は前田、緒方と3人だけで外野の守備練習を行い充実した日々を過ごしていた。キャンプを終えると教育リーグに出場。順風満帆にプロの道を進もうとしていた。
だが3月中旬の2軍の教育リーグ、阪神戦で悪夢が起きる。試合前のシートノックでバックホームした瞬間、右肩に強い違和感を覚えた。数日しても痛みは消えず、病院で検査を受けた結果「右肩関節唇(かんせつしん)損傷」と診断された。その後は故障者組でのリハビリの日々。早期復帰を予想していただけにストレスはたまった。だが今は気持ちを切り替え、完治を目指している。
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