下松工高では2年秋の県大会8強が最高。徳山大では通算5勝6敗、防御率2.08。卒業後、03年にミネソタ・ツインズとマイナー契約した。1年目はルーキーリーグで1勝を挙げた。渡米2年目は1Aに所属するも右肩を故障。キャッチボールもままならなかった時期を送り、登板機会は無かった。さらに3年目の05年のスプリングキャンプで結果を出せず、解雇通告を受けた。
帰国後は母校の徳山大で、壁当て、ネットスローなどの練習を繰り返す日々が続いた。自ら球団HPを見て応募した9月23日の広島入団テストに合格。05年の日南秋季キャンプでの"最終テスト"に挑み、快投をみせた。
徳山大では最速153キロをマークし、スカウトも注目したが、アメリカ大リーグへの思いが強く渡米。当時、広島のスカウトも「大学の時から高い評価をしていたが、本人のアメリカ志向が強かった」と獲得を断念した経緯がある。
右肩の故障により現在は球速145キロながら、海を渡りカーブとチェンジアップに磨きがかかった。アメリカでは「ヒジを痛めるから」と使用を禁じられていた宝刀フォークも解禁する。なによりも最大の武器は、挫折と孤独を乗り越え身に付けた強靭な精神力だ。
テスト生からの入団でで、契約金1000万円、年俸550万円と金銭面は高くないが本人は大満足。「アメリカ時代は試合のある5ヶ月間だけ月10万円ずつもらっていた。3食ハンバーガーで見るのも嫌」。11倍に跳ね上がった年俸でハンバーガー暮らしから脱出できニンマリ。50m=6秒2 遠投=110m
右肩痛のため一度も2軍で登板することなく戦力外通告を受ける。11月3日、育成選手として再契約。
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