前田 智徳
- 状況別
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- 年度成績
- 1軍打撃成績
- 1軍投手成績
プロフィール
- 守備外野手
- 背番号1履歴 51(90-91) 31(92-93) 1(94)
- 生年月日1971年 6月14日 双子座
- 年齢・血液型53才 AB型
- 出身地熊本県玉名郡岱明町(現玉名市)
- 投打右投左打
- 身長・体重175cm 80kg
- 入団1990年 4位 入団 35年目
経歴・獲得タイトル他
- 経歴熊本工−広島(90-)
- 獲得タイトルベストナイン4回(92-94、98)
Gグラブ賞4回(91-94) - その他記録最多二塁打(93、98)
セ記録(当時):猛打賞23度(98)
セ最少三振(97、99、02、05、06)
カムバック賞(02) - 年俸
- 備考
公式戦年度別成績
年度 | 所属 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁 | 三塁 | HR | 打点 | 盗塁 | 盗死 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺 | 失策 | 打率 | 長打率 | 出塁率 | 順位 |
1990 | 広島 | 56 | 45 | 43 | 15 | 11 | 3 | 0 | 0 | 5 | 4 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 1 | .256 | .326 | .273 | |
1991 | 広島 | 129 | 465 | 395 | 54 | 107 | 21 | 1 | 4 | 25 | 14 | 10 | 30 | 4 | 31 | 5 | 57 | 4 | 3 | .271 | .359 | .329 | 20 |
1992 | 広島 | 130 | 585 | 493 | 82 | 152 | 23 | 3 | 19 | 89 | 18 | 4 | 30 | 6 | 54 | 2 | 51 | 7 | 5 | .308 | .483 | .375 | 5 |
1993 | 広島 | 131 | 568 | 499 | 85 | 158 | 33 | 2 | 27 | 70 | 10 | 1 | 2 | 3 | 61 | 3 | 63 | 3 | 2 | .317 | .553 | .392 | 4 |
1994 | 広島 | 123 | 554 | 492 | 66 | 158 | 26 | 0 | 20 | 66 | 4 | 3 | 2 | 3 | 57 | 0 | 56 | 12 | 2 | .321 | .496 | .389 | 2 |
1995 | 広島 | 25 | 99 | 86 | 15 | 22 | 4 | 1 | 4 | 11 | 3 | 0 | 0 | 1 | 10 | 2 | 12 | 1 | 0 | .256 | .465 | .343 | |
1996 | 広島 | 105 | 435 | 396 | 54 | 124 | 20 | 2 | 19 | 65 | 0 | 0 | 0 | 3 | 34 | 2 | 61 | 10 | 3 | .313 | .518 | .368 | 9 |
1997 | 広島 | 100 | 419 | 382 | 55 | 116 | 23 | 1 | 15 | 68 | 1 | 0 | 0 | 7 | 28 | 2 | 35 | 7 | 6 | .304 | .487 | .348 | 10 |
1998 | 広島 | 127 | 551 | 504 | 71 | 169 | 36 | 0 | 24 | 80 | 5 | 2 | 0 | 2 | 41 | 4 | 54 | 8 | 4 | .335 | .550 | .388 | 2 |
1999 | 広島 | 108 | 428 | 392 | 53 | 118 | 17 | 0 | 12 | 65 | 1 | 1 | 2 | 5 | 25 | 4 | 36 | 8 | 3 | .301 | .436 | .345 | 12 |
2000 | 広島 | 79 | 284 | 262 | 32 | 62 | 14 | 0 | 13 | 44 | 0 | 0 | 1 | 3 | 18 | 0 | 39 | 6 | 0 | .237 | .439 | .283 | |
2001 | 広島 | 27 | 30 | 27 | 1 | 8 | 2 | 0 | 0 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 3 | 2 | 0 | .296 | .370 | .367 | |
2002 | 広島 | 123 | 462 | 422 | 50 | 130 | 11 | 1 | 20 | 59 | 0 | 1 | 0 | 2 | 37 | 1 | 38 | 11 | 2 | .308 | .481 | .364 | 7 |
2003 | 広島 | 128 | 473 | 427 | 50 | 124 | 14 | 2 | 21 | 71 | 2 | 2 | 5 | 3 | 35 | 3 | 45 | 10 | 3 | .290 | .480 | .346 | 15 |
2004 | 広島 | 121 | 438 | 407 | 45 | 127 | 28 | 1 | 21 | 70 | 2 | 0 | 1 | 2 | 23 | 5 | 38 | 8 | 2 | .312 | .541 | .355 | 7 |
2005 | 広島 | 146 | 590 | 540 | 77 | 172 | 25 | 1 | 32 | 87 | 1 | 2 | 0 | 0 | 44 | 6 | 43 | 9 | 0 | .319 | .546 | .376 | 7 |
2006 | 広島 | 134 | 522 | 472 | 66 | 148 | 22 | 1 | 23 | 75 | 2 | 3 | 2 | 3 | 40 | 5 | 42 | 6 | 1 | .314 | .511 | .371 | 4 |
2007 | 広島 | 124 | 446 | 414 | 41 | 118 | 17 | 0 | 15 | 71 | 1 | 2 | 0 | 4 | 20 | 8 | 31 | 12 | 2 | .285 | .435 | .327 | 18 |
2008 | 広島 | 84 | 186 | 174 | 11 | 47 | 4 | 1 | 4 | 29 | 0 | 1 | 0 | 2 | 8 | 2 | 24 | 4 | 1 | .270 | .374 | .306 | |
2009 | 広島 | ||||||||||||||||||||||
2010 | 広島 | 68 | 86 | 77 | 5 | 17 | 3 | 0 | 2 | 19 | 0 | 0 | 0 | 2 | 6 | 1 | 19 | 2 | 0 | .221 | .338 | .279 | |
2011 | 広島 | 52 | 51 | 44 | 0 | 11 | 3 | 0 | 0 | 13 | 0 | 0 | 0 | 1 | 5 | 1 | 8 | 2 | 0 | .250 | .318 | .333 | |
通算 | 2120 | 7717 | 6948 | 928 | 2099 | 349 | 17 | 295 | 1089 | 68 | 33 | 76 | 56 | 581 | 56 | 758 | 132 | 40 | .302 | .485 | .358 |
ファーム年度別成績
年度 | 所属 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁 | 三塁 | HR | 打点 | 盗塁 | 盗死 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺 | 失策 | 打率 | 順位 |
2001 | 広島 | 4 | 12 | 10 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | .200 |
来歴
岱明町中で野球を始める。熊本工では、1988年・2年春夏、1989年・3年夏と甲子園出場。4番センターで出場し、通算4試合で17打数4安打。入団当初は、走攻守三拍子揃った選手で、野球センスは抜群。
ボールを打つ技術、バットコントロールは天性のものを持ち、ストレートも変化球も的確なスイングでヒットにする。現役最多の11度の3割達成、通算打率(4000打数以上)は現役では5位の.302。イチローも尊敬するほどだ。しかし一番近いと思われる首位打者は獲得していない。肩は強肩という程では無いが、捕手への制球力や捕手が捕りやすいバウンドを投げられるため、捕殺数は高い。趣味のゴルフもプロ並みでHC1。
1990年、入団1年目のオープン戦、初出場で5打数5安打4二塁打と才能をアピール。1991年の開幕戦では「1番センター」で先発出場。初回にいきなり先頭打者本塁打という形でプロ入り初アーチを記録した。2年目から才能が開花しリーグを代表する選手になる。
しかし順調だった野球人生も、怪我との戦いが始まる。1995年には右アキレス腱を断裂。2000年には左アキレス腱も手術した。2001年にはプロ入り最少のシーズン8安打の屈辱を経験。2002年は3年振りの打率3割そして規定打席に到達。球団4人目のカムバック賞を受賞。2004年は開幕から19試合連続安打の球団記録を作り、5月は1500安打、9月には1500試合を達成した。
2005年
前田は例年にない動きの良さを感じ取っていた。一塁へ走るスピード。打球を追う守備の動き。1月のグアム自主トレ、キャンプを通じてやってきたアキレス腱や太ももに負担をかけない走法が、両足の不安からの開放を印象させる。
4月は、5試合連続マルチ安打を含む34安打を放ち、打率.391、7本塁打、18打点。惜しくも月間MVPは逃した。オールスター戦では、9年ぶりのファン選出。甲子園での第2戦で先発し、3安打2打点でMVPを獲得した。ここ数年、球宴休暇中は常に自身の治療にあててきた。前年も病院で痛み止めなど、注射を受ける予定を立てた。だが、6月24日からの中日3連戦で、評論家時代から「前田は天才」と話してきた落合監督に「甲子園で、代打で出場を」と非公式な打診を受けた。迷っているうちにファン投票で選出され断る理由はなかった。
今まで一度も到達していなかったシーズン30本塁打を、130試合終了までに達成し、自己最多の32本塁打をマーク。また目標に掲げていた全試合出場を12年ぶりに達成した。得点圏打率も.328と勝負強さを発揮。守備面でもリーグトップの12補殺にダイビングキャッチと元気な姿をみせた。脚の状態の良さは、内野安打にも表れ、1992年の自己最多17にあと1と迫る16を記録し、現在通算130本。三振率(三振/打席)は自己ベストの.073と、4度目のリーグ最少三振数。
2006年
1992年から3年間、一緒に戦ってきたブラウンが監督として広島に戻ってきた。そのブラウン監督から球団初のダブルキャプテン制度を用い、野手のキャプテンとして指名された。さらに驚きの起用法として出塁率重視のオーダーで2番を監督から打診されていた。プロ3年目以来の2番で迎えた開幕戦は、八回まで0−0の息詰まる投手戦。九回一死二塁、緒方が岩瀬から決勝の中前適時打。続く前田が右中間を破る適時二塁打を放ち、試合を決めた。
開幕戦こそ、黒田博樹の好投で白星を飾ったものの、チームは9試合連続で2得点以下。前田自身も次打者へつなぐ意識が邪魔をし、リズムを崩した。打率1割台と不振を極める打線に前田は、13日の巨人戦前、ブラウン監督に「チームが勝つためにも打順を戻してください」と直接会談。しかし改めて“2番継続”を告げられた。その後も、相変わらず得点力の上がらない打線に、18日の横浜戦(広島)からブラウン監督は従来のオーダーに戻し、前田は定位置である5番に座った。その日から打線は爆発し12得点。前田も2安打2打点と気を吐いた。
5月24日のオリックス戦(広島)では、初回にストライク送球でオリックスの4番・清原を二塁で刺し、3点を追う2回には実に3試合連続となる7号ソロアーチ。清原の通算4000塁打を阻止、プロ24人目の通算100補殺となった。通算100補殺は現役最多。正確な送球は衰えることはない。グラブは手になじんだものを大切に使ってきた。2005年までのグラブは部分的に革を交換、補修を重ね、7年以上使い込んだ。前年までのグローブはもう補修しきれず、新たに1年以上練習で使ったものから試合用を選択。それでも思い出のグラブはロッカーに大切にしまっている。
8月終了時点で打率.295と3割を割っていたが、9月以降は96打数37安打、打率.385と打ちまくり、打率を.314(セ・リーグ4位)まで引き上げた。得点圏打率もセ・リーグ2位の.373を誇る。規定打席到達者で、三振率、三振数ともリーグ最小。3年連続打率3割、5年連続20本塁打以上を更新する。
2007年
オープン戦に右足を痛め、右大腿二頭筋短頭筋損傷と診断。6年ぶりに開幕一軍メンバーから漏れた。3月30日の開幕戦で故障した廣瀬純に代わって、31日には一軍昇格。5月まで打率.291、7本塁打と打撃好調。6月はプロ2年目1991年のワースト記録にあと1に迫る25打席連続無安打で不振に陥った。7月は再び調子を取り戻し、オールスターファン投票でセ・リーグ最多得票を獲得し、オールスターに選ばれる。ソフトバンク・馬原から自身球宴初アーチとなる代打本塁打で優秀選手賞を獲得。
8月12日のヤクルト戦で、代打でボテボテの二ゴロで三塁ランナーが帰り1000打点を達成。史上31人目、広島では山本浩二、衣笠祥雄に次ぐ3人目となった。9月1日の中日戦。2000本安打まであと1本に迫っていたが、4打席目まで凡退。七回が終わって6−7、八回一死、嶋の3ランで逆転すると、5打席目は回ってこないと思われた。だが、打線が奇跡的とも思える粘りを見せ、梵の四球を足がかりに二死満塁とし、5度目の打席が巡ってきた。久本の3球目を思い切り引っ張りあっという間に右翼前へ届き2000本安打を達成。史上36人目、球団では山本浩、衣笠、野村謙二郎に次いで4人目となる。
翌日の中日戦でも、1本塁打を含む3安打5打点と連日の大活躍。23日は1試合2本塁打を放ち通算2021安打。野村を抜き、球団生え抜きでは衣笠、山本浩に次ぐ歴代3位となる。記録尽くめとなった2007年だが年齢による衰えもあり、代打での出場が増えた。最終戦に代打で出場し、規定打席446に到達。打率.285、15本塁打は物足りないが、例年並みの打点71を挙げる。
2008年
開幕戦から安打を量産し、10試合で打率.412をマーク。3月29日の中日戦では六回に球団7000号となるメモリアル弾も放った。しかし11日に2002年以来の1試合3三振を喫すると打撃は下降線を辿り、4月終盤には代打起用が増えていった。6月以降は代打起用が多くなった。最終戦となった10月6日の横浜戦では、史上41人目の2000試合出場を果たす。
84試合に出場し、打率.270、4本塁打に留まり、6年連続の規定打席到達、2桁本塁打が途切れた。しかし代打では49度の起用で、打率.372、出塁率.449をマークし、勝負強さは健在だ。
2009年
腰痛、両アキレス腱痛など満身創痍の状態で、プロ20年目にして初めて一軍、二軍の試合に出場できないままシーズンを終えた。10月10日の巨人戦(マツダスタジアム)で、緒方孝市の引退試合に、花束贈呈役を務め、二人マウンドで抱き合った。自分への、さらにそれを上回る緒方への大歓声に涙した。「何とか役に立ちたい。こういう形では終われない」と翌年への復活を期した。
2010年
昨季は、下半身に不安を抱えるため代打での起用が主になった。3月28日の中日戦、九回6−6の同点、無死満塁で代打出場。岩瀬から勝ち越し犠飛を決め、2008年10月6日以来の出場を果たす。4月11日の横浜戦では、九回山口から右翼席へ代打本塁打を放つ。16日の中日戦では、九回3-3の同点、一死満塁から代打で出場し、センターへサヨナラヒット。1994年6月9日の阪神戦以来自身4度目。代打では初のサヨナラ打、マツダスタジアム初安打。5月の交流戦では、指名打者として6試合に先発。指名打者としては23打数6安打1本塁打、打率.261。9月9日のヤクルト戦では、七回二死満塁、由規から右中間へ3点適時二塁打で勝利を決定づける一打を放った。
打率.221、19打点、2本塁打。得点圏では40打数10安打、打率.250。数字からは代打の難しさを物語るが、満塁の場面では、7打数4安打と勝負強さを発揮。何度も試合を決める一打でチームを救った。翌年も球団から必要な戦力として期待され、200万減の7000万円で更改。今季で不惑を迎える22年目に突入。代打一本で再び勝負を掛ける。
前田智徳と同じ1990年に広島に入団した選手
選手名 | ドラフト | 守備 | 状況 | 現在 |
水上善雄 | 3位 | 内野手 | 移籍 | 引退 |
高沢秀昭 | 2位 | 外野手 | 移籍 | 引退 |
西清孝 | 外 | 投手 | 移籍 | 引退 |
松井隆昌 | 外 | 捕手 | 移籍 | 引退 |
M・ヤング | 外野手 | 新入団 | 引退 | |
秋村謙宏 | 外 | 投手 | 新入団 | 引退 |
水本勝己 | 外 | 捕手 | 新入団 | 引退 |
佐々岡真司 | 1位 | 投手 | 新入団 | 引退 |
仁平馨 | 2位 | 外野手 | 新入団 | 引退 |
前間卓 | 3位 | 投手 | 新入団 | 引退 |
前田智徳 | 4位 | 外野手 | 新入団 | 在籍 |
山口晋 | 5位 | 投手 | 新入団 | 引退 |
浅井樹 | 6位 | 内野手 | 新入団 | 引退 |
前田智徳と同じ1971年に生まれ広島に入団した選手
選手名 | 月日 | 守備 | 状況 | 現在 |
佐藤裕幸 | 01/04 | 内野手 | 新入団 | 引退 |
豊田清 | 02/02 | 投手 | 移籍 | 引退 |
玉木重雄 | 02/25 | 投手 | 新入団 | 引退 |
山口晋 | 04/23 | 投手 | 新入団 | 引退 |
佐藤剛 | 04/23 | 投手 | 新入団 | 引退 |
前田智徳 | 06/14 | 外野手 | 新入団 | 在籍 |
仁平馨 | 06/18 | 外野手 | 新入団 | 引退 |
野々垣武 | 07/08 | 内野手 | 移籍 | 引退 |
山田喜久夫 | 07/17 | 投手 | 移籍 | 引退 |
高山健一 | 08/04 | 内野手 | 新入団 | 引退 |
山田潤 | 08/30 | 内野手 | 移籍 | 引退 |
R・チェコ | 09/09 | 投手 | 新入団 | 引退 |
E・ディアス | 09/29 | 内野手 | 新入団 | 引退 |
前間卓 | 09/30 | 投手 | 新入団 | 引退 |
上田好剛 | 10/13 | 投手 | 新入団 | 引退 |
A・シーツ | 11/19 | 内野手 | 新入団 | 引退 |
浅井樹 | 12/14 | 内野手 | 新入団 | 引退 |
E・ラドウィック | 12/14 | 投手 | 新入団 | 引退 |