東出 輝裕 広島東洋カープ 選手プロフィール

Carp's CLUB かぷ吉



選手名鑑


東出 輝裕


プロフィール

東出 輝裕
  • 守備内野手

  • 背番号2履歴 46(99) 2(00-)

  • 生年月日1980年 8月21日 獅子座

  • 年齢・血液型44才 A型

  • 出身地福井県鯖江市

  • 投打右投左打

  • 身長・体重171cm 73kg

  • 入団1999年 1位  入団 26年目


経歴・獲得タイトル他

  • 経歴敦賀気比高−広島(99-)

  • 獲得タイトルベストナイン(08、09)

  • その他記録

  • 年俸
    2009年から4年契約

  • 備考

東出輝裕レーダーチャート

公式戦年度別成績

年度 所属 試合 打席 打数 得点 安打 二塁 三塁 HR 打点 盗塁 盗死 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率 長打率 出塁率 順位
1999 広島 78 267 233 25 53 5 1 0 7 8 2 18 1 14 1 34 5 0 .227 .258 .273
2000 広島 119 485 429 62 112 18 2 3 28 17 6 22 3 29 2 87 7 25 .261 .333 .309 23
2001 広島 140 637 545 82 143 22 5 5 35 26 9 49 4 35 4 84 8 27 .262 .349 .310 30
2002 広島 107 437 377 41 90 7 1 1 17 12 8 35 2 20 3 44 5 16 .239 .271 .281 27
2003 広島 47 92 82 8 12 0 0 0 1 3 0 6 0 4 0 11 3 4 .146 .146 .186
2004 広島 76 85 75 17 18 0 1 1 3 5 1 5 0 4 1 18 1 1 .240 .307 .288
2005 広島 39 75 67 8 14 2 0 1 3 2 3 3 0 5 0 16 2 5 .209 .284 .264
2006 広島 138 550 504 57 142 10 1 0 23 11 18 14 2 27 3 60 7 8 .282 .306 .321 19
2007 広島 132 516 458 57 123 12 0 0 15 13 4 22 2 33 1 55 3 7 .269 .295 .318 26
2008 広島 138 576 522 76 162 12 1 0 31 13 8 24 4 24 2 63 1 12 .310 .337 .341 9
2009 広島 142 625 558 71 164 16 8 0 26 14 7 19 3 44 1 39 5 14 .294 .351 .345 9
2010 広島 108 492 454 53 121 15 7 1 40 10 7 10 1 26 1 55 4 7 .267 .337 .307 28
2011 広島 137 601 543 60 151 17 3 0 27 8 6 18 2 35 3 71 7 11 .278 .320 .324
通算 1401 5438 4847 617 1305 136 30 12 256 142 79 245 24 300 22 637 58 137 .269 .317 .313

ファーム年度別成績

年度 所属 試合 打席 打数 得点 安打 二塁 三塁 HR 打点 盗塁 盗死 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率 順位
1999 広島 35 93 12 27 2 6 0 9 6 2 4 0 7 0 11 1 15 .290
2002 広島 4 10 10 1 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 .400
2003 広島 18 81 70 21 21 3 2 1 7 8 3 0 0 11 0 2 0 3 .300
2004 広島 3 12 10 2 4 0 1 0 0 1 1 0 0 2 0 1 0 1 .400
2005 広島 34 145 127 35 46 9 2 0 13 14 3 3 0 15 0 5 2 7 .362

来歴

入団までの経緯・特徴

神明小3から野球を始め、6年の時に「ボーイズリーグ鯖江」に入る。中学時代全国大会でベスト4。敦賀気比高では入学と同時に三塁手で1番となる。1998年選抜に出場、エースの故障に代わって先発完投した。夏にはエースナンバーで出場したが初戦敗退。高校通算打率.464、34本塁打。50m5秒8と俊足、高校時代は140キロを投げる強肩。俊足・巧打で正田耕三の後継者と期待され、一時は低迷したが2006年、見事な復活。

入団後の経過

1999年
5月11日に一軍初昇格。その日の巨人戦に2番・二塁として先発出場。5打数1安打でプロ初安打を放つ。高卒1年目ながら、78試合に出場し、打率.227、8盗塁をマーク。前年に正田が引退したために二塁のポジションが空いたが、チーム最多の68試合に出場した。オフには背番号が「46」から「2」に変更。

2000年
初の開幕一軍メンバーに選ばれた。巨人との開幕戦では、8番・遊撃で開幕戦初先発。9日からは2番打者として起用された。4月8日の阪神戦ではハンセルから初本塁打を放つ。119試合に出場し、打率.261、3本塁打、17盗塁をマーク。初の規定打席にも到達した。リーグ最多の25失策を記録。

2001年
初のフル出場で、打率.262、26盗塁。球団記録の49犠打で2番打者としての素質が開花した。W杯も経験しベストナインに選出される。27失策は、2年連続でリーグ最多となった。

2002年
開幕当初は打撃好調だったが、徐々に調子を落とし、打率2割前半まで落ち込んだ。右太もも裏肉離れの故障で、5月26日に登録抹消。2000年8月12日から続いていた連続出場が220試合でストップした。7月7日に再昇格。昇格後も調子が上がらず、結局打率.239に終わる。打席数437で、ぎりぎり規定打席の434に到達し、3年連続規定打席はクリアできた。

2003年
シーツの加入により二塁手に転向。しかし打撃不振から昇格と降格を繰り返し、47試合、打率.146はプロ最低の成績。9月には左ひじの出術を行った。

2004年
新外国人ラロッカとの正二塁手争いに敗れた。76試合に出場するものの、先発はわずか11試合に留まる。出場機会を増やす為、外野にも挑戦し、2試合中堅を守る。

2005年
一軍開幕スタメンに名を連ねながらも、打撃がふるわず、5月には二軍落ちした。尾形佳紀の故障による長期離脱から、約3年ぶりに遊撃に再転向させる計画で、約1ヶ月間実戦を離れた。7月から2番・遊撃として先発。同月17日の阪神戦(甲子園)では、0−0で迎えた延長十回、安藤の直球をとらえ試合を決める一発を放った。しかし好調も長続きせず8月には腰痛から戦線離脱した。腰痛から復帰した9月。ファームでは7試合連続マルチヒットを放つなどアピールするも一軍昇格とはならなかった。秋季教育リーグから、出場機会を増やすために、再度両打ちに挑戦。2006年大学・社会人ドラフト3巡の梵英心の入団でさらに出場機会は減るだろう、このまま終わってしまうのか。

2006年
開幕当初は、山崎浩司に二塁を譲ったものの、打撃不振の山崎に代わり、4月中旬からは先発が増えた。10試合連続安打などで、4月は打率.333と安打を量産した。ブラウン新監督の下、失敗しても前向きなプレーを褒めることで、次第に自信がついてきた。守備でも二塁へ定着したこともあり、スローイングでの失策が激減した。好調な打撃と安定した守備で、初のオールスターにも選出された。

その後も、不動のトップバッターとして活躍。2001年以来の138試合に出場し、打率も自己最高の.282をマーク。課題だった守備も失策数は8個と守備率は.989。1位藤本(阪神)の.995に次ぐセ・リーグ2位と、堂々たる成績だ。新人・梵とのキーストンコンビ結成で、広島カープ念願であった1、2番が固定できた。

2007年
開幕当初から2番・二塁として先発していたが、3、4月は、打率.236と不振に陥ると、5月は松本高明との併用となった。その5月は打率.346と復調すると、再び二塁のレギュラーを奪取。以降はあまり調子が上がらなかったが、起用された。

2008年
小窪哲也の加入もあったが、開幕から好調で二塁手としてのポジションは奪われることなく出場。3、4月は打率.290、5月は20試合中16試合で安打を放ち、打率.394。さらに6月は、猛打賞3度(4安打は2度)達成するなど、打率.403をマーク。一時期打率は.365まで上昇した。オールスターファン投票の二塁部門で、279873票を獲得し初の選出。2位の仁志にわずか7064票だった。6月以降は梵の打撃不振により、1番打者として起用された。9月9日のヤクルト戦では、史上254人目の通算1000本安打を達成。20日の中日戦では、史上429人目の通算1000試合出場を達成した。シーズン後半は失速したが、打率.310で初の打率3割をマーク。初のベストナインにも選ばれた。また自己最多の44度のマルチ安打をマークするなど、10年目で自己最高の成績を残し、Aクラスまで後一歩と迫ったチームを牽引した。

11月、FA権を行使せず、残留することを表明。6000万円増の年俸1億円プラス出来高払いの4年契約を結んだ。

2009年
開幕から打撃好調で、4月は3度の猛打賞含む11度のマルチ安打で打率.358をマーク。9月は、2度の4安打含む5度の猛打賞で打率.351。2年連続3割には到達しなかったが、打率.294を残す。前年の44度を更新する46度のマルチ安打を記録。新球場になったことで、リーグ最多の8三塁打を放った。2年連続ベストナインにも選ばれる。

2010年
昨季は、3番に左打者の天谷宗一郎が座ることにより、1番に左の東出、2番に右の梵というジグザグ打線を組んだ。4月23日の巨人戦(東京ドーム)で、三回東野から右翼席へ本塁打を放ち、2005年7月17日阪神戦で安藤から打って以来、1741日ぶりの1発。赤星憲広(阪神)の2528打席に次いで、2393打席連続本塁打なしでストップとなった。5月2日の中日戦では、九回3-3の同点、一死一三塁からセンターへ自身2度目のサヨナラヒットを放つ。3、4月と6月で月間3割前後を打ったが、5、7月で2割前半と低迷するなど、なかなか乗り切れない状態であった。さらに2番の梵が絶好調だったため、お互いの特性を考えると打順が逆の方が良かった。8月22日の横浜戦前に右ひじの痛みを訴え先発を外れると、26日右ひじ遊離軟骨の摘出手術を行った。これによりシーズン中の復帰は絶望となった。シーズン途中で離脱したものの、5年連続で「規定打席到達」と「2桁盗塁」を更新。得点圏打率.358、40打点も自己記録を更新した。

2011年度総括・展望

更新日 2011.02.18

東出輝裕と同じ1999年に広島に入団した選手

選手名 ドラフト 守備 状況 現在
山田喜久夫 5位 投手 移籍 引退
山田潤 2位 内野手 移籍 引退
宇野雅美 5位 投手 移籍 引退
R・デハート 投手 新入団 引退
E・ディアス 内野手 新入団 引退
E・レイノソ 投手 新入団 引退
東出輝裕 1位 内野手 新入団 在籍
井生崇光 2位 外野手 新入団 在籍
矢野修平 3位 投手 新入団 引退
森笠繁 4位 外野手 新入団 引退
小山田保裕 5位 投手 新入団 引退
新井貴浩 6位 内野手 新入団 他球団
酒井大輔 7位 投手 新入団 引退
広池浩司 8位 投手 新入団 引退

東出輝裕と同じ1980年に生まれ広島に入団した選手

選手名 月日 守備 状況 現在
仁部智 01/10 投手 新入団 引退
大須賀允 03/08 内野手 移籍 引退
J・フェリシアーノ 04/06 投手 新入団 引退
木村昇吾 04/16 内野手 移籍 在籍
鞘師智也 05/06 外野手 新入団 引退
C・トレーシー 05/22 内野手 新入団 引退
酒井大輔 06/19 投手 新入団 引退
B・エルドレッド 07/12 内野手 新入団 在籍
矢野修平 08/12 投手 新入団 引退
B・コズロースキー 08/16 投手 新入団 引退
飯田宏行 08/19 投手 新入団 引退
東出輝裕 08/21 内野手 新入団 在籍
江草仁貴 09/03 投手 移籍 在籍
B・バリントン 09/30 投手 新入団 在籍
梵英心 10/11 内野手 新入団 在籍
山崎浩司 10/31 内野手 移籍 他球団
V・マルテ 11/08 投手 新入団 引退
E・フランコ 11/25 内野手 新入団 引退
永川勝浩 12/14 投手 新入団 在籍