栗原 健太
- 状況別
- 出勤簿
- 写真館
- FLASH BACK
- 年度成績
- 1軍打撃成績
- 1軍投手成績
プロフィール
- 守備内野手
- 背番号5履歴 50(00) 5(06-)
- 生年月日1982年 1月 8日 山羊座
- 年齢・血液型42才 O型
- 出身地山形県天童市
- 投打右投右打
- 身長・体重183cm 95kg
- 入団2000年 3位 入団 25年目
経歴・獲得タイトル他
- 経歴日大山形高−広島(00-)
- 獲得タイトルGグラブ賞2回(08、09)
- その他記録
- 年俸
- 備考
公式戦年度別成績
年度 | 所属 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁 | 三塁 | HR | 打点 | 盗塁 | 盗死 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺 | 失策 | 打率 | 長打率 | 出塁率 | 順位 |
2000 | 広島 | ||||||||||||||||||||||
2001 | 広島 | ||||||||||||||||||||||
2002 | 広島 | 10 | 23 | 22 | 2 | 4 | 2 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 7 | 0 | 2 | .182 | .409 | .217 | |
2003 | 広島 | 26 | 77 | 76 | 7 | 21 | 1 | 0 | 3 | 6 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 15 | 1 | 3 | .276 | .408 | .286 | |
2004 | 広島 | 90 | 282 | 270 | 26 | 72 | 7 | 1 | 11 | 32 | 2 | 1 | 1 | 1 | 8 | 2 | 60 | 5 | 7 | .267 | .422 | .292 | |
2005 | 広島 | 77 | 274 | 254 | 31 | 82 | 16 | 0 | 15 | 43 | 0 | 1 | 1 | 1 | 17 | 1 | 63 | 12 | 5 | .323 | .563 | .366 | |
2006 | 広島 | 101 | 397 | 373 | 44 | 110 | 19 | 0 | 20 | 69 | 2 | 1 | 0 | 3 | 21 | 0 | 90 | 7 | 9 | .295 | .507 | .330 | |
2007 | 広島 | 144 | 622 | 565 | 77 | 175 | 37 | 1 | 25 | 92 | 3 | 4 | 0 | 6 | 46 | 3 | 94 | 13 | 8 | .310 | .512 | .361 | 5 |
2008 | 広島 | 144 | 616 | 557 | 69 | 185 | 31 | 1 | 23 | 103 | 5 | 4 | 0 | 4 | 42 | 12 | 68 | 18 | 7 | .332 | .515 | .389 | 3 |
2009 | 広島 | 140 | 582 | 521 | 68 | 134 | 21 | 0 | 23 | 79 | 1 | 6 | 0 | 2 | 48 | 7 | 82 | 11 | 13 | .257 | .430 | .327 | 23 |
2010 | 広島 | 105 | 450 | 386 | 62 | 114 | 22 | 0 | 15 | 65 | 3 | 3 | 0 | 6 | 51 | 7 | 70 | 10 | 13 | .295 | .469 | .382 | 16 |
2011 | 広島 | 144 | 596 | 536 | 56 | 157 | 29 | 0 | 17 | 87 | 0 | 1 | 0 | 7 | 40 | 12 | 84 | 11 | 6 | .293 | .442 | .351 | |
通算 | 981 | 3919 | 3560 | 442 | 1054 | 185 | 3 | 153 | 577 | 17 | 21 | 2 | 30 | 274 | 45 | 633 | 88 | 73 | .296 | .479 | .351 |
ファーム年度別成績
年度 | 所属 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁 | 三塁 | HR | 打点 | 盗塁 | 盗死 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺 | 失策 | 打率 | 順位 |
2000 | 広島 | 17 | 30 | 29 | 3 | 6 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 4 | 3 | 0 | .207 | |
2001 | 広島 | 28 | 69 | 62 | 6 | 19 | 1 | 0 | 1 | 7 | 1 | 1 | 0 | 0 | 5 | 2 | 8 | 1 | 2 | .306 | |
2002 | 広島 | 79 | 329 | 305 | 40 | 93 | 15 | 5 | 6 | 50 | 6 | 3 | 0 | 3 | 14 | 7 | 50 | 4 | 9 | .305 | 3 |
2003 | 広島 | 61 | 263 | 232 | 48 | 73 | 18 | 3 | 13 | 53 | 0 | 3 | 0 | 3 | 22 | 5 | 24 | 8 | 12 | .315 | 2 |
2004 | 広島 | 1 | 2 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .500 | |
2005 | 広島 | 20 | 84 | 69 | 13 | 19 | 4 | 0 | 5 | 18 | 1 | 1 | 0 | 2 | 13 | 0 | 13 | 5 | 2 | .275 | |
2010 | 広島 | 1 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 |
来歴
日大山形高入学と同時に投手から内野手に転向し、2年夏の甲子園は1回戦で敗退した。東北高校球界No.1スラッガーで通算39本塁打、将来の4番候補と見られている。ボールを叩き潰すようなパワーヒッティングで、打球の速さは強烈!フォークなど落ちる球も苦手にしない。抜群の筋力とともに握力は左右とも70キロ以上。背筋力は280キロ。大柄な割には、100メートル11秒7と意外と足が速い。入団当初は現役唯一の山形県出身選手だったが、最近では毎年新人が入団している。広島では、2005年入団の梅津智弘も山形出身。
入団して2年間は左肩のケガにより満足なプレーができなかった。2001年、ファームでは、7月に故障から復帰。主に左翼として先発し、28試合で打率.306、1本塁打。9月2日の中日戦では、二軍ながら初本塁打が満塁弾となる。
2002年
ファームで一軍に上がるまで不動の4番。打率.305、50打点を挙げ打点王に輝く。9月には一軍でプロ入り初本塁打を記録し、アジア大会にも出場した。
2003年
ファームでは、2年連続打点王、本塁打王の2冠を獲得。再々昇格した10月10日からプロ初の3試合連続本塁打を放ち、自慢のパワーの片りんを見せつけた。
2004年
7月に左太もも裏故障で戦列を離脱するなど90試合の出場に留まったが、自己最高の打率.267、11本塁打を記録。代打でも18打数7安打、打率.389と高い。特に巨人戦では圧倒的な相性を誇り、打率.351、6本塁打、14打点。
2005年
自身の使用した04年タイプよりも20グラム増の920グラム、長さも1.8センチ長い86センチを使用。2004年巨人とのオープン戦で、清原からバットをもらい「自分のは軽すぎると思った」ことがモデルチェンジのきっかけだった。
春先、2004年と同じ左足を痛めて、4月に二軍の試合中に今度は、その逆の右足を痛めてしまった。それから約2ヶ月、三軍で治療に専念した。一軍昇格した6月21日からは、6、7番で一塁を守る。両足肉離れの出遅れから77試合に出場に留まった。しかし安定した打撃で、打率.323、本塁打15本と自己最高の成績を残した。今まで苦手だった8月には夏バテ対策として、結婚したこともあり、栄養バランスを考えた食事に加え、クーラーの温度も25度以上に設定した。その効果が表れ打率.352、本塁打10本と活躍する。
また、放った本塁打15本のうち、センターから右方向は10本。長尺バットを使いこなせるようになって、アウトコースのボールでもうまく打てるようになった結果だった。得点圏にも強く、打率.370をマーク。
オフには背番号が「50」から「5」へ変更。尊敬する清原の巨人時代の番号とあり、本人も快諾した。
2006年
1月から米アリゾナ州で初の海外自主トレを3週間敢行。カート・シリング(レッドソックス)らとともに徹底的に体を鍛えた。その結果体重は4キロ増えて100キロに、体脂肪は10%から9%に減少。筋骨隆々の体をつくりあげ、飛距離の大幅アップを実感している。3月には栗原の愛称を「コング」と名づけられ、2005年に新井貴浩が本塁打王を獲得したことと併せ「キングコング砲」と呼ばれる。
シーズンに入り、4月を終了して打率.235と出遅れたものの、5月に入ると、打棒が爆発。打率.379、3度の1試合4打点を含む23打点を挙げる。7月には打率.305ながら、7本塁打19打点でリーグ2冠となり、月間MVPに選ばれる活躍を見せる。この月、投手部門の黒田博樹も受賞し、2000年4月の前田智徳、佐々岡真司以来6年ぶりのダブル受賞となった。
8月2日のヤクルト戦(広島)では、自己初の20本塁打を放ち、好調を維持していたが、翌日のヤクルト戦(広島)の2回に、二塁への走塁中、腰に違和感を覚えたため、大事をとって途中交代した。その後、「第4、第5腰椎椎間板(ようついついかんばん)ヘルニア」と判明し、腰の手術を行った。シーズン中の復帰は絶望となり、2年連続大きな故障に泣いた。クリーンアップとして定着するようになり、打点も故障で離脱するまで、新井貴浩を上回る69打点を叩き出していただけに、大きな戦力ダウンとなった。試合数、本塁打、打点は自己最高の成績を残し、特に満塁では、10打数5安打3二塁打と勝負強さを発揮した。
近年の活躍・成長から、フル出場すれば、3割30本塁打100打点は達成できる選手だけに、故障しない体作りが必要だ。
2007年
シーズン当初は6番一塁で先発していたが、クリーンアップを打っていた嶋重宣の不調により、4月後半から3番に座った。5月までの2ヶ月間で、打率.314、9本塁打、32打点。4番・新井も打率.259ながら、14本塁打、38打点と、全得点の185点のうち、38%を二人で稼いだ。オールスターファン投票では、一塁部門で1位に初選出。第2戦も先発し、初対戦となる田中(楽天)から二塁打を放つ。9月8日の横浜戦で、山口から21本目の本塁打を放ち、前年の20本を更新した。13日の阪神戦では、これまで被本塁打ゼロだった藤川に初の本塁打を浴びせた。
入団以来初のフル出場を果たし、初の規定打席到達。リーグ5位の打率.310をマークし、25本塁打、92打点は自己記録を更新。リーグ2位の37二塁打は、1997年・ロペスと並ぶ球団記録。年俸も2800万から132%UPの6500万となった。オフには新井がFAで阪神へ移籍し、新しく4番を打つことになる。
2008年
新しく4番の座に就いたが、開幕戦からの中日、阪神、横浜戦、9試合で打率は1割台。相手投手のマークが厳しくなったことや、4番のプレッシャーもあった。それから徐々に調子を取り戻し、安打はそこそこ出るようになったが、前年のような快進撃はなかった。6月終了時点で、67試合に出場し打率.299、8本塁打、37打点。4番としては物足りない成績だった。しかし、7月以降は76試合に出場し、打率.361、15本塁打、66打点と4番の役目を果たした。18試合連続安打や、ロペス(2000年)、新井(2002年)と並ぶ8試合連続打点など、自己記録を次々と更新。2年連続フル出場を果たし、自己最多の103打点、打率もリーグ3位の.332をマークした。得点圏打率も.360と4年連続で3割を超えた。年俸も6500万から倍増の1億3000万に到達し、前田智徳を抜いて野手最高額となった。また一塁部門でゴールデン・グラブ賞を初受賞。くしくもFA移籍した新井と同数での受賞となった。
2009年
3月に行われたWBCでは、大会前に最終登録メンバーから落選したが、2次ラウンドで戦線離脱した村田(横浜)に代わる右の大砲として急きょ招集され、準決勝直前で代表に合流した。結果は2試合に出場し3打数0安打ではあるが、チームは優勝し、チャンピオンリングを手にした。
巨人・阪神との開幕6連戦は、22打数10安打、打率.455、10打点と活躍し、3勝2敗(1分)と勝利に貢献。4月16日の横浜戦では、新球場となったマツダスタジアムで、広島の選手として初本塁打を放った。23日の横浜戦で「腰椎椎間板ヘルニア」と診断され途中交代。翌日の阪神戦で欠場し、2007年の開幕戦から続く連続試合出場が305でストップした。本塁打は前年と同じ23本。新球場が広くなったことによりチーム本塁打は減ったが、栗原は、市民球場(2008年)66試合10本から、マツダスタジアム(2009年)63試合9本とあまり影響はなかった。打率.257は2003年以降ではワースト記録となった。守備面では2年連続のゴールデン・グラブ賞を受賞。ブランコ(中)に78票差をつける106票で文句なしの受賞。一塁での2年連続は広島史上初。2010年は野村謙二郎新監督の構想により、三塁へコンバートされる。
2010年
開幕当初は4番・三塁で出場していたが、ヒューバーの不振により、4月中盤には一塁を守るようになった。野村監督の構想が早くも崩れた形となった。3、4月は、打率.218と伸びず、守っても4月29日の横浜戦で、プロ入り初の1試合3失策。三塁手ではリーグワーストタイという汚点を残した。しかし5月に入ると、9試合連続マルチ安打をマークし、ロードン(1989年)の8試合を抜く21年ぶりの球団記録(セ・リーグ2位タイ)。打率も.210から一気に.291まで上昇させた。
6月10日のロッテ戦、初回、右手首に死球を受けて、九回の打席で交代。後日の検査で「右尺骨茎状突起骨折」と診断された。せっかく調子が上がってきたところでの欠場で、かなりの戦力ダウンとなった。またオールスターファン投票で一塁部門で1位に選ばれるものの、故障により辞退する。
2ヶ月後の8月に一軍復帰したが、骨折の影響でバットを押し込めず、調子が上がらなかった。9月は、腰痛に加え、右足甲に自打球を当てるなど、満身創痍の体であったが、それでも打率.357、6本塁打、10打点を挙げた。
約2ヶ月間の欠場があったが、規定打席になんとか到達し、打率は.295をマーク。本塁打は15本で、4年連続20本塁打でストップした。
栗原健太と同じ2000年に広島に入団した選手
選手名 | ドラフト | 守備 | 状況 | 現在 |
山崎慎太郎 | 3位 | 投手 | 移籍 | 引退 |
谷内聖樹 | 外 | 投手 | 移籍 | 引退 |
J・ボール | 内野手 | 新入団 | 引退 | |
C・カンバーランド | 投手 | 新入団 | 引退 | |
E・ラドウィック | 投手 | 新入団 | 引退 | |
S・ウルソー | 投手 | 新入団 | 引退 | |
A・ブリトー | 内野手 | 新入団 | 引退 | |
河内貴哉 | 1位 | 投手 | 新入団 | 在籍 |
木村一喜 | 2位 | 捕手 | 新入団 | 引退 |
栗原健太 | 3位 | 内野手 | 新入団 | 在籍 |
末永真史 | 4位 | 外野手 | 新入団 | 在籍 |
佐竹健太 | 5位 | 投手 | 新入団 | 他球団 |
苫米地鉄人 | 6位 | 投手 | 新入団 | 引退 |
松本奉文 | 7位 | 内野手 | 新入団 | 引退 |
長崎元 | 8位 | 外野手 | 新入団 | 引退 |
栗原健太と同じ1982年に生まれ広島に入団した選手
選手名 | 月日 | 守備 | 状況 | 現在 |
河内貴哉 | 01/06 | 投手 | 新入団 | 在籍 |
栗原健太 | 01/08 | 内野手 | 新入団 | 在籍 |
甲斐雅人 | 04/12 | 内野手 | 新入団 | 引退 |
森跳二 | 04/15 | 投手 | 新入団 | 引退 |
石橋尚到 | 04/20 | 内野手 | 新入団 | 引退 |
N・スタビノア | 05/03 | 外野手 | 新入団 | 在籍 |
小島心二郎 | 06/11 | 投手 | 新入団 | 引退 |
J・ヒューバー | 07/01 | 内野手 | 新入団 | 引退 |
田村彰啓 | 07/12 | 外野手 | 新入団 | 引退 |
赤松真人 | 09/06 | 外野手 | 移籍 | 在籍 |
岸本秀樹 | 10/18 | 投手 | 移籍 | 在籍 |
田中彰 | 10/23 | 内野手 | 移籍 | 引退 |
玉山健太 | 12/24 | 投手 | 新入団 | 引退 |
D・ソリアーノ | 12/30 | 投手 | 新入団 | 引退 |