末永 真史 広島東洋カープ 選手プロフィール

Carp's CLUB かぷ吉



選手名鑑


末永 真史


プロフィール

末永 真史
  • 守備外野手

  • 背番号51履歴 51(00-)

  • 生年月日1981年 6月 8日 双子座

  • 年齢・血液型42才 O型

  • 出身地佐賀県唐津市

  • 投打左投左打

  • 身長・体重175cm 78kg

  • 入団2000年 4位  入団 25年目


経歴・獲得タイトル他

  • 経歴佐賀東高−広島(00-)

  • 獲得タイトル

  • その他記録

  • 年俸

  • 備考

末永真史レーダーチャート

公式戦年度別成績

年度 所属 試合 打席 打数 得点 安打 二塁 三塁 HR 打点 盗塁 盗死 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率 長打率 出塁率 順位
2000 広島
2001 広島
2002 広島 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
2003 広島 18 35 32 3 6 2 0 1 3 1 0 1 0 2 0 10 0 0 .188 .344 .235
2004 広島
2005 広島 65 77 72 11 20 1 0 2 7 4 1 0 1 3 1 17 0 0 .278 .375 .312
2006 広島 54 118 114 11 32 7 0 2 9 2 0 1 0 2 1 29 0 1 .281 .395 .299
2007 広島
2008 広島 4 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000 .000 .000
2009 広島 73 170 154 23 43 8 1 2 19 3 1 0 0 15 1 48 1 1 .279 .383 .347
2010 広島 21 66 60 5 15 2 1 0 2 3 1 1 0 5 0 20 1 2 .250 .317 .308
2011 広島
通算 236 467 433 54 116 20 2 7 40 13 3 3 1 27 3 125 2 4 .268 .372 .315

ファーム年度別成績

年度 所属 試合 打席 打数 得点 安打 二塁 三塁 HR 打点 盗塁 盗死 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率 順位
2000 広島 5 8 7 1 2 0 1 0 2 0 0 0 0 1 0 1 0 1 .286
2001 広島 61 244 227 24 61 4 0 4 27 10 3 0 3 12 2 47 1 2 .269 14
2002 広島 80 320 299 40 74 12 2 3 16 17 4 2 1 12 6 60 4 6 .247 16
2003 広島 78 311 290 40 82 11 4 6 43 17 10 1 1 17 2 43 1 1 .283 16
2004 広島 56 206 182 23 55 11 6 1 25 9 10 1 2 17 4 40 2 1 .302
2005 広島 33 103 95 15 27 3 3 3 15 5 1 0 0 7 1 16 1 1 .284
2006 広島 35 131 117 9 32 8 3 1 15 1 3 0 3 9 2 24 2 1 .274
2007 広島 76 258 234 22 57 13 2 1 18 6 3 3 2 18 1 69 0 1 .244 15
2008 広島 71 218 193 21 52 13 0 1 23 22 7 5 0 19 1 55 1 1 .269
2009 広島 24 72 68 8 16 4 0 1 4 1 3 0 0 4 0 13 2 1 .235
2010 広島 55 147 129 27 36 10 0 4 19 9 3 1 1 16 0 32 1 0 .279
2011 広島 103 268 242 21 51 9 1 2 19 2 2 7 1 17 1 74 4 0 .211

来歴

入団までの経緯・特徴

高校3年夏の甲子園で、3番一塁で出場し、途中からセンターに回った。1回戦仙台育英と対戦し完封負け。3年の時は打率.380、18本塁打。

攻走守三拍子揃った選手で将来性充分。打撃フォームは前田智徳に似ており、ボールに吸いつくようなミートの巧みさと盗塁能力は既に一軍レベル。前田二世とよばれる逸材で、背番号も前に付けていた51。「理想の打撃は?」という問いには、ためらいなくこう答える。「10割打つことでしょう」と話す。

入団後の経過

2001年
ファームでは、開幕戦からセンターで先発起用。61試合に出場し、打率.269、4本塁打、10盗塁を記録。初めて規定打席に到達し、2年目で二軍のレギュラーを獲得。

2002年
4月7日に入団3年目にして一軍初昇格。その日の中日戦で代走で一軍初出場をするものの、13日に二軍降格。ただ雰囲気を感じるだけに終わった。一軍での出場は、この1試合のみ。ファームでは80試合に出場し、打率.247。ほぼ1番を打ち、盗塁も着々と伸び17個。

2003年
一軍では先発6試合を含む18試合に出場。打率.188ながら、上原(元・巨人)からプロ初本塁打を放つ。ファームでは打率.283、6本塁打と、自己最高の成績を残す。

2004年
1月下旬の沖縄自主トレ中に首を痛め、春季キャンプは日南スタート。4月23日のウエスタン阪神戦では、二盗を試みた際、左太もも裏を肉離れした。打撃練習を再開したのは、6月に入ってから。その間、一軍では、同期の栗原健太河内貴哉らが活躍していた。ファームではプロ入り初の3割を打ったが、対右投手は3割5分をマークしたのに対し、対左投手には1割台。内田順三チーフ打撃コーチのアドバイスを受け、バットを短く持ち、より軸で回転できる打法に取り組んでいる。3年ぶりの一軍出場ゼロに終る。

2005年
開幕一軍は果たせなかったものの、6月に約2年ぶりの一軍昇格。主に代打での出場が多かったが、9月上旬まで3割をキープ。7月6日の横浜戦では、プロ入り初のサヨナラ打を放つなど、勝負強さも光った。自己最多の65試合に出場し、打率.278、2本塁打。盗塁も4個決めた。9月には入籍し、最高のシーズンとなった。

2006年
キャンプから期待されながら、沖縄キャンプ最終日に左太もも裏を痛めて帰広。3月中旬に二軍練習に合流も、4月の開幕後は森笠繁廣瀬純ら一軍の外野陣は打撃好調で、二軍でひたすら出番を待つ日々であった。5月7日に一軍昇格したその日、3−2と追い上げられた八回二死三塁でダメ押しの中越え適時二塁打。その後も先発や代打で結果を出し、29日の楽天戦では、延長十二回一死二塁で左越え適時二塁打を放ち、勝負を決めた。

その勝負強い打撃で一時は打率4割を超えることもあり、右投手の時は先発として起用されるようになった。だが6月後半になるとパタリと安打が出なくなった。待っているストレートに当たらないというほど調子を落とした。8月15日中日戦(広島)では、決勝本塁打を放ち、お立ち台にあがるものの、24日の阪神戦で右足ハムストリングの怪我をしてしまう。故障で一軍定着とはならなかったが、打席数、打率とも2005年を上回る成績を残した。特に得点圏打率.400、代打打率.316、7回以降の打率.372と勝負強さが光った。

2007年
ファームで打撃不振に陥り、4月中旬まで打率1割台と低迷した。単発で安打は出るが、コンスタントに続くことは無かった。打率.244は入団以来最低の成績で、盗塁も6個と物足りない。また三振も69個と増えた。三振率(三振/打席)は入団以来1割台(.175)だったが、2007年は.267とかなり悪い。ちなみに144試合フル出場すると160個程度の数になる。3年ぶりに、一軍出場はゼロに終わる。

2008年
相変わらず打撃不振が続き、三振数も多かった。最終的に打率はマルチヒットが多かったため、.269と平均的な成績に留まった。ただ2007年と違うのは、より多く走ったということ。元々走れる選手だけに、最近の盗塁数は寂しかった。22盗塁を記録し、松本高明と並び盗塁王を獲得した。

2009年
天谷宗一郎の骨折により、5月14日に一軍昇格。それまでファームで打率.235と低迷していただけに、思いがけないチャンスだった。5月15日の巨人戦で、代打で出場し左前打。実に2006年10月以来の安打を放った。その後は、何度か先発で起用されても、中々結果を出せずにいた。6月中旬から調子は上向き、7月3日の横浜戦ではシーズン初めて1番として起用されると、プロ入り初の1試合4安打を達成した。打率.309から一気に.350まで上昇した。天谷が7月15日に一軍復帰したが、二軍に落とされること無く起用され、18日のヤクルト戦では、八回3−4の1点差ビハインドから、梵英心の二塁打で追いつくと、満塁から、走者一掃の勝ち越し二塁打。シーズン初のお立ち台にも上がった。9月10日のヤクルト戦では、九回0-2と後が無い場面で、一死一二塁からライトスタンドへ逆転3ラン。土壇場での逆転勝利でチームを救った。

9月19日に右脇腹を痛め、シーズン終盤で離脱したが、自己最多の73試合に出場し、19打点を挙げた。印象に残る決定打が多く、データでも勝負強いのが分かった。得点圏打率.487(出塁率.535)、代打打率.429(出塁率.500)は2006年を凌ぐ成績だ。先発起用もいいが、代打の切り札として、左は喜田剛と2枚看板というのが、一番ベストな選択肢かもしれない。年俸も800万から63%UPの1300万で、2007年の1000万を更新した。

2010年
昨季は、オープン戦で途中出場や代打中心の出場ながら、勝負強い打撃で打率.278を残し、入団11年目で初の開幕一軍メンバー入りを果たした。当初は代打中心だったが、4月中旬頃からは先発で出場することも増えた。ただ安打は出るものの、三振も多く、自己最長の11試合連続三振や、自己最多の1試合4三振を喫することもあり安定感に欠けた。29日フィオに変わって登録抹消となり、その日以降は一軍に上がることは無かった。2009年の活躍から期待していただけに、残念な結果に終わった。得意としていた得点圏打率も17打数2安打、打率.118とチャンスに打てなかった。秋季キャンプの初日に、ダッシュの練習中に腰を痛め、病院に直行。診断の結果、ぎっくり腰と判明。度重なる故障や、若手の台頭などもあり、常時一軍出場ができていない。

2011年度総括・展望

得点圏 代打
年度
打数
安打
四球
打率
出塁
打数
安打
四球
打率
出塁
2003
5 2 0 .400 .400 8 2 1 .250 .333
2005
9 5 1 .556 .600 39 11 4 .282 .349
2006
20 8 1 .400 .429 19 6 1 .316 .350
2009
39 19 4 .487 .535 14 6 2 .429 .500
2010
17 2 0 .118 .118 4 1 0 .250 .250
通算
90 36 6 .400 .438 84 26 8 .310 .370

※04、07、08年は機会なし

更新日 2011.02.18

末永真史と同じ2000年に広島に入団した選手

選手名 ドラフト 守備 状況 現在
山崎慎太郎 3位 投手 移籍 引退
谷内聖樹 投手 移籍 引退
J・ボール 内野手 新入団 引退
C・カンバーランド 投手 新入団 引退
E・ラドウィック 投手 新入団 引退
S・ウルソー 投手 新入団 引退
A・ブリトー 内野手 新入団 引退
河内貴哉 1位 投手 新入団 在籍
木村一喜 2位 捕手 新入団 引退
栗原健太 3位 内野手 新入団 在籍
末永真史 4位 外野手 新入団 在籍
佐竹健太 5位 投手 新入団 他球団
苫米地鉄人 6位 投手 新入団 引退
松本奉文 7位 内野手 新入団 引退
長崎元 8位 外野手 新入団 引退

末永真史と同じ1981年に生まれ広島に入団した選手

選手名 月日 守備 状況 現在
井生崇光 03/12 外野手 新入団 在籍
B・バーデン 04/02 内野手 新入団 在籍
D・サファテ 04/09 投手 新入団 在籍
上野弘文 04/10 投手 新入団 在籍
比嘉寿光 04/19 内野手 新入団 引退
長崎元 05/07 外野手 新入団 引退
末永真史 06/08 外野手 新入団 在籍
R・ラミーレス 08/31 投手 新入団 引退
苫米地鉄人 09/22 投手 新入団 引退
中東直己 10/05 外野手 新入団 在籍
青木高広 11/26 投手 新入団 在籍
N・マテオ 12/16 投手 新入団 引退
迎祐一郎 12/22 外野手 移籍 在籍