中東 直己
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- 年度成績
- 1軍打撃成績
- 1軍投手成績
プロフィール
- 守備外野手
- 背番号00履歴 35(07-10) 00(11-)
- 生年月日1981年10月 5日 天秤座
- 年齢・血液型43才 B型
- 出身地広島県呉市
- 投打右投左打
- 身長・体重170cm 71kg
- 入団2007年 5巡 入団 18年目
経歴・獲得タイトル他
- 経歴広島工−東亜大−ホンダ鈴鹿−広島(07-)
- 獲得タイトル
- その他記録
- 年俸
- 備考直己(07-08/06/22 2010-) 直瑛(08/06/23-2009)
公式戦年度別成績
年度 | 所属 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁 | 三塁 | HR | 打点 | 盗塁 | 盗死 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺 | 失策 | 打率 | 長打率 | 出塁率 | 順位 |
2007 | 広島 | 31 | 74 | 70 | 7 | 14 | 2 | 0 | 0 | 2 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 18 | 0 | 1 | .200 | .229 | .243 | |
2008 | 広島 | 5 | 2 | 2 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .500 | .500 | .500 | |
2009 | 広島 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | |
2010 | 広島 | 15 | 11 | 9 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 3 | 0 | 0 | .000 | .000 | .091 | |
2011 | 広島 | 64 | 34 | 34 | 7 | 7 | 1 | 0 | 0 | 1 | 3 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 1 | .206 | .235 | .206 | |
通算 | 116 | 122 | 116 | 21 | 22 | 3 | 0 | 0 | 4 | 11 | 4 | 0 | 1 | 5 | 0 | 26 | 0 | 2 | .190 | .216 | .221 |
ファーム年度別成績
年度 | 所属 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁 | 三塁 | HR | 打点 | 盗塁 | 盗死 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺 | 失策 | 打率 | 順位 |
2007 | 広島 | 17 | 79 | 66 | 11 | 26 | 3 | 4 | 0 | 4 | 9 | 2 | 1 | 0 | 10 | 1 | 11 | 1 | 0 | .394 | |
2008 | 広島 | 19 | 30 | 26 | 5 | 6 | 1 | 0 | 0 | 3 | 1 | 4 | 0 | 0 | 4 | 0 | 7 | 0 | 0 | .231 | |
2009 | 広島 | 65 | 130 | 123 | 17 | 27 | 2 | 1 | 0 | 3 | 4 | 3 | 4 | 0 | 3 | 0 | 17 | 0 | 0 | .220 | |
2010 | 広島 | 52 | 109 | 98 | 16 | 35 | 3 | 2 | 0 | 9 | 13 | 5 | 4 | 0 | 7 | 0 | 8 | 1 | 1 | .357 | |
2011 | 広島 | 23 | 84 | 70 | 8 | 17 | 0 | 1 | 0 | 7 | 2 | 4 | 3 | 2 | 8 | 1 | 8 | 0 | 2 | .243 |
来歴
東亜大では4年の時に捕手として神宮大会で日本一。JR西日本に入社、1年目から正捕手の座をつかむも、2005年4月の福知山線脱線事故を受け、同5月に休部が決まり野球人生の岐路に立った。退社してホンダ鈴鹿に決意の移籍、移籍後は外野手として起用され、都市対抗などで活躍し注目を集めた。
小柄だが、50メートル5.7秒の俊足と遠投110メートルの強肩が持ち味。外野だけでなく、捕手、内野手の経験もあり、走攻守三拍子揃った万能選手を目指す。
呉市出身の中東は、幼いころからの広島ファン。『プロ野球=カープ』と、とらえていたと言うだけに「今は決まってほっとした気持ち」と顔をほころばせた。新井貴浩(現・阪神)は、広島工高の五つ年上の先輩。東亜大2年の時から正月には、一緒に「走り初め」している仲という。
2007年
オープン戦は打率4割以上と打撃好調で、開幕一軍切符を手にすると思っていたが、3月23日の阪神戦で親指以外の4本をねんざし、せっかくの開幕一軍を逃す。
4月12日に初昇格を果たし、14日の中日戦で、代打でプロ初出場(結果は三振)。翌日は代打出場後、外野手登録ながら捕手として守備に入った。17日からの巨人3連戦では1番センターとして起用されたが、3連戦で12打数0安打と結果は出せなかった。二軍では打率3割以上と高打率だったが、一軍の壁は厚かった。6月8日、3度目の一軍昇格を果たし、10日からは猛打賞を含む7試合連続ヒットを放つなど、本来の打撃センスをアピール。7月19日のフレッシュオールスターでも1安打2盗塁でMVPを獲得するものの、その後の検査で「右手有こう骨骨折」と診断され手術を行った。本格的な練習再開まで2ヶ月を要することとなり、シーズンを棒にふった。二軍では打率.394、9盗塁、4三塁打と高い数字を残すものの、一軍では打率.200に終わる。
2008年
2年目に初の開幕一軍を果たしたが、代打や代走で起用されるものの、わずか一週間で二軍降格。さらには4月末に故障し、復帰するまでに2ヶ月半を要した。相次ぐ故障などから、心機一転し、6月23日に「直己(なおき)」から「直瑛(なおてる)」に改名。7月に復帰した後も二軍では打率.231と低迷し、一軍昇格することはなかった。
2009年
外野登録から捕手登録に変更。2年連続開幕一軍メンバーに選ばれ、4月5日の巨人戦で代走で起用され、盗塁を決めた。しかし8日には上村和裕と代わって二軍落ちとなった。結局一軍での出場数は3年間で最低の1試合。ファームでは、65試合に出場するものの、代打や代走が多く、先発数は27試合(捕手では11試合)と少なかった。打率も.220と過去最低となった。翌年から再び外野手登録となり、登録名も本名の「直己」に戻す。
2010年
昨季は、ファームで27打数11安打、打率.407と結果を出し、4月13日に一軍昇格。昇格後は、主に代走として起用され、3盗塁を決めた。しかし自慢の打撃では、10打席ノーヒットとアピールすることができず、5月26日には二軍降格となった。ファームでは、途中出場が主だったが、起用された試合で、コンスタントにヒットを重ね、98打数35安打、打率.357。盗塁も13個をマークした。これだけいい成績を残しながら、6月以降一軍で起用されなかった。やはり長打、機動力、守備力では負けてしまう。さらに迎祐一郎がオリックスから加入し、1981年生まれの外野手は井生崇光、末永真史と4人になった。競争が激しくなった、外野陣で起用されるには、とにかく安打を打つしかない。また背番号が「35」から「00」に変更。
中東直己と同じ2007年に広島に入団した選手
選手名 | ドラフト | 守備 | 状況 | 現在 |
大須賀允 | 6巡 | 内野手 | 移籍 | 引退 |
喜田剛 | 7巡 | 内野手 | 移籍 | 引退 |
A・アレックス | 外野手 | 助っ人 | 引退 | |
山中達也 | 育成枠 | 投手 | 新入団 | 引退 |
J・フェルナンデス | 投手 | 新入団 | 引退 | |
E・カリダ | 投手 | 新入団 | 引退 | |
宮崎充登 | 投手 | 新入団 | 引退 | |
前田健太 | 1巡 | 投手 | 新入団 | 在籍 |
上野弘文 | 3巡 | 投手 | 新入団 | 在籍 |
會澤翼 | 3巡 | 捕手 | 新入団 | 在籍 |
青木高広 | 4巡 | 投手 | 新入団 | 在籍 |
中東直己 | 5巡 | 外野手 | 新入団 | 在籍 |
中東直己と同じ1981年に生まれ広島に入団した選手
選手名 | 月日 | 守備 | 状況 | 現在 |
井生崇光 | 03/12 | 外野手 | 新入団 | 在籍 |
B・バーデン | 04/02 | 内野手 | 新入団 | 在籍 |
D・サファテ | 04/09 | 投手 | 新入団 | 在籍 |
上野弘文 | 04/10 | 投手 | 新入団 | 在籍 |
比嘉寿光 | 04/19 | 内野手 | 新入団 | 引退 |
長崎元 | 05/07 | 外野手 | 新入団 | 引退 |
末永真史 | 06/08 | 外野手 | 新入団 | 在籍 |
R・ラミーレス | 08/31 | 投手 | 新入団 | 引退 |
苫米地鉄人 | 09/22 | 投手 | 新入団 | 引退 |
中東直己 | 10/05 | 外野手 | 新入団 | 在籍 |
青木高広 | 11/26 | 投手 | 新入団 | 在籍 |
N・マテオ | 12/16 | 投手 | 新入団 | 引退 |
迎祐一郎 | 12/22 | 外野手 | 移籍 | 在籍 |